2010年9月の言葉
| 人の生(い)くるや直(なお)し。 之(これ)を罔(し)いて生(い)くるや、 幸(さいわ)いにして免(まぬが)るるなり。 -論語 雍也第六- |
| 【訳】「元来人はまっすぐなものだ。それを曲げて生きるのは、幸いに天罰を免れているに過ぎない」 人はすべて点のはたらきによって生まれたもので、元来誰でも澄んだ心の鏡を与えられている。従って常にその鏡を磨き、たびたび自分を映して誤りのないようにするのが人の道である。 平成二十二年九月一日 |
| 人の生(い)くるや直(なお)し。 之(これ)を罔(し)いて生(い)くるや、 幸(さいわ)いにして免(まぬが)るるなり。 -論語 雍也第六- |
| 【訳】「元来人はまっすぐなものだ。それを曲げて生きるのは、幸いに天罰を免れているに過ぎない」 人はすべて点のはたらきによって生まれたもので、元来誰でも澄んだ心の鏡を与えられている。従って常にその鏡を磨き、たびたび自分を映して誤りのないようにするのが人の道である。 平成二十二年九月一日 |
| 士たるは その志にあり -尾藤二州・約山誌集- |
| 士(紳士)たるものの美しさ、光というものは、その志(こころざし)の如何にかかるのである。 人間が紳士として尊ばれ、敬われるのは、外形・家柄ではなく人格・人柄、そして心の持ち方によってきまるものである。 ・尾藤二州・・・江戸末期の漢学者 平成二十二年八月一日 |
| 情(こころ)を天地に斉(ひと)しくし 想(おもい)を風雲に乗ずべし -豊受皇太神 御鎮座本記- |
| 自分の心・考え方は一瞬たりとも停滞することはない。 春夏秋冬の四季の移り変わり、一日二十四時間の動きも一刻一刻が天地自然の運行通りに行われている。 人生も天地自然と共に生き、無理をしてはならない。 ・御鎮座本記・・・鎌倉時代の伊勢の神道五部書の一つである 平成二十二年六月一日 |
| 正直は清浄を以て本となす -度会家行「神道簡要- |
| 正直とは、ただウソを言わないというだけではない。 正しい心・直き心とは、誠一途に常に反省を怠らず、少しでも良い方に向かおうと努力する積極的な心でなければならない。 その基本として清浄であることが必要である。 正直の道は、清い心・清いおこないを絶えず持続し実行することによって達成される。 ・度会家行・・・ 鎌倉末期の伊勢神宮神職 平成二十ニ年五月一日 |
| 真にして静(しんにしてせい -論語・雍也篇二章- |
| どんなときも寡黙で静かな人こそ、誠実さがあふれ、奥ゆかしさを示す本来の姿である。
複雑な社会生活の中で、理論的なものの言い方で議論することは必要なことではあるが、しかし、意気盛んに大きなことを言う人ほど、いざという時に何もできない。 うわべだけの威勢が、自分の軽薄さをさらけださないよう注意すべきである。 ・論語・・・ 十巻二十扁からなり、孔子や孔子の弟子の言説を記したもの。 平成二十ニ年四月一日 |
| 心に望み起らば 困窮したる時を 思い出すべし 堪忍は無事長久の基 怒は敵と思へ -東照公御遺訓- |
| 人は、心に何かやりたいことができても、いざ実行となると、中々成就 することは難しい。 その為には、常々苦労には苦労を重ね、どんな時もこらえ我慢し、 堪忍袋の緒(ひも)はしっかりと諦めて努力する事が大事である。 ・東照公御遺訓・・・ 徳川家康が家臣に残した遺訓をまとめたもの |
| 世の中に 親に考ある 人はただ 何につけても 頼もしきかな -荒木田守武・世中百首- |
| 世の中で、親子の関係ほど密着したものはない。 親が我が子を可愛がるのは自然の情である。 その子が親を大切にするのもまた自然の情でなければならない。 その意味で、自分を産んでくれた両親に孝行を尽くす人ほど、頼もしい人はない。 ・荒木田守武・世中百首
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| 看 々 臘 月 尽 (みょみょろうげつつく) -虚堂録・虚堂和尚- |
| この禅語には、時のたつのが早いもので、ぼんやりしていると一生が過ぎてしまうという意味で、人生の努力を示す言葉であります。
年頭に一年の計画を立てることが大事である。 虚堂録・・・南宋末の禅僧、虚堂和尚の語録。 平成二十ニ年一月一日 |
| 其れ恕か。(それじょか) 己の欲せざるところ、人に施すことなかれ -論語・孔子- |
| 「恕」とは相手の気持ちを思いやる心のことである。 「己」とは自分のこと、「人」とは他人のことである。 自分が嫌だと思うようなことは、自分から他人にしてはならない。 平成二十一年十二月一日 |
| 敬 天 愛 人 -西郷南州遺訓- |
| 道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、 天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、 我を愛する心を以て人を愛するなり。 平成二十一年十一月一日 |
| 天下、意の如くならざるもの (てんか、いのごとくならざるもの) 常に、十に七、八におる |
| この世の中には自分の思い通りなら無い事が、七、八割あるとの意味。
人生にはどんなに努力しても報われないことが多い。 【晋書】 平成二十一年十月一日 |
| 父母はわが家の神 わが神と (ちちはははわがいえのかみ わがかみと) 心つくしていつけ人の子 |
| 自分がこんにちまであるのは、父母が生んでくれたおかげである。 父母は最も身近な我が家の守り神でもあり、 子は身心を清めて神をまつり孝養を尽くすことが大切である。 最近の世相は父母を大切にしないようで残念に思う。 こうしたことを十分反省してなごやかな家庭を営むべきである。
平成二十一年九月一日 |
| 不立文字 教外別伝 (ふりゅうもんじ きょうげべつでん) -達磨大師- |
| 文字や教典に頼らず、心から心へ伝えるということ。
恩師あるいは先生の心・教えを直接耳で聞いて、 【達磨大師】 平成二十一年八月一日 |
| 明 珠 在 掌 (めいしゅたなごころにあり) -碧巌録- |
| 「明珠」とは、自分の中にある宝のことで、 人間が誰でも平等にもっているものをいう。 これを磨かなければ真の自分の姿が 見出せないのである。 従って、大いに努力練磨して、 自分の向上に努めなければならない。 平成二十一年七月一日 |
| 温温(おんおん)たる恭人(きょうじん)は これ徳(とく)の基(もと)なり -詩 経- |
| 「温温」は、おだやかな、柔和。 「恭」は自分に対しては、慎み深い人、 人に対してはうやうやしいこと。 それが徳の基だという。 徳のある人は、周りの人々から慕われ、信頼される。 この言葉の反対語もあるが、現代は人間関係の難しい時代、 平成二十一年六月一日 |
| 疑行(ぎこう)は名なく、 疑事(ぎじ)は功(こう)なし -史記- |
| 「疑行とは、確信を欠いたあいまいな行動」 「疑事も同様の意味」 つまり、物事を十分調査研究しないで、上司・会社に述べても成功も名誉も得られない。 今や国の内外を問わず、経済の恐慌、不況の最中であることを思い、過去の因習に囚(とら)われることなく未来思考でじっくりと努力すべきでなかろうか。 平成二十一年五月一日 |
| 習ひつつ見てこそ習へ習わずに 善悪(よしあし)いふは愚(おろか)なりけれ -利休・百首談義- |
| 物事を学ぶと云う事はその物事の根源や本質を学ぶと言うことであり、表面的な事象のみを学んだところで何も得られない。 新しい事を始めるにあたっては、まずその物事の根源が何処にあるのかを深く考えねばならない。 平成二十一年四月一日 |
| 庭訓三月(ていきんさんげつ) ―故事成語― |
| 「庭訓」とは、論語に記されている孔子とその子供(孔鯉)との故事で、家庭教育や家庭での親の教えの意。 寺子屋では、「庭訓往来」という本が教科書として広く用いられた。 「庭訓三月」とは、庭訓往来を学び始めても三月には飽きてしまうことから飽きやすくて長続きしないということ。 「一年の計は元旦に在り」と思って出発しても、三月ともなればなかなか長続きできない状態もある。「庭訓三月」であってはいけない。 平成21年3月1日 |
| 意馬心猿(いばしんえん) ―仏教禅語― |
| 馬が走り回り猿が騒ぐ。この二つの行動をとめる事は難しい。 人間のよこしまな欲望もまた押さえ込む事は難しい。 現代の世相で「キレる・ムカつく」等と暴走する心を善導するものは宗教心であろう。 生命現象は善心あり、また悪心もある。 自我、個性、活欲がなければ進歩発展もない。 何が正しい自己か、何が個性かを十分見極めて、世の為人の為に 欲望を活かすべきである。 平成21年2月1日 |
― 延年長楽 ―(えんねんちょうらく)
「延年」とは、古典芸能のひとつで、白山信仰の歴史の中にも見ることができる。
長滝白山神社(岐阜県)や奥州平泉では、現在でも「延年の舞」が伝わっている。
本年はこの「延年」を掲げ、穏やかな年としたい。
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