特別講師として・・・
平成26年3月15日(土)公益社団法人東京都柔道接骨師会からの依頼を受け、
第3回「未来塾」特別講演を行いました。
東京都柔道接骨師会館で「私の人生」というテーマで90分にわたり、熱弁を振るってきました。
皆さん、熱心に聴いて下さいました。
平成26年3月15日(土)公益社団法人東京都柔道接骨師会からの依頼を受け、
第3回「未来塾」特別講演を行いました。
東京都柔道接骨師会館で「私の人生」というテーマで90分にわたり、熱弁を振るってきました。
皆さん、熱心に聴いて下さいました。
10時からの、同志で親戚の市議の新年互礼会へ顔を出し、金澤神社で、長男が孫の受験生を連れて来るのと合流する。神社の宮司に、神前で高校合格祈願のお祓いをして貰う。12時から市内ホテルで、3人で昼食を食べながら、孫を励ます。
13時30分から、地元の神社の新年祭に顔を出し、玉串奉奠をして、隣市の県議の互礼会に出席し、ご挨拶をする。
その後、デパートへ行き、「お祝いと感謝の心」の品物を買い、その足で「感謝の心」を80代の方に、その思いを届ける。
7時に、近くのホテルでの新年互礼会会場へ集合し、I.A(アイコック・アリィ)の年頭儀式の中で挨拶をした。
互礼会のそれぞれの担当部署に就き、準備態勢が整った。8時には、後援会本部会長や政心研金沢市議7人揃い、入口で新年のご挨拶とともにお迎えをした。
後援会の本部や地元南地区、各地区の会長他役員・会員の出席・・・約700名参加の上で知事、国会議員、金沢市長、県議、金沢市他加賀から能登の市町議、校下連長、公民館長、各団体の長、役員など多くの参加の中で、賑々しく、そして厳かに執り行われ、9時50分に締めた。
この新年互礼会が目白押しで、終了後、直ちに市内ホテルでの知事を皮切りに、扇台校下、諸江三町会下丁、後援団体本部長で友人宅、市内ホテルでの市長、母校相撲部の騎虎の会を回り、本日の一段落をした。
大晦日(12/31)の23時45分に家族揃って、恒例の年越し蕎麦を食べながら、元日を迎えた。“おめでとう”と家族で新年の挨拶をしながら、それぞれ床に着く。
午前3時頃に目が覚めたので、新聞に目を通し、4時半に自分で運転をして、元朝式の会場へ向かった。朝起きの会場でもある中で、7~8分来賓の挨拶をした。「政治生活40年、金沢での県議15年目の節目を迎え、今年の一文字“慎”を披露した。」“すみずみまで心を配る”ことを第一にしたい。会長先生の言葉を引用し、「人間力」と“共助”の精神を新たに取り入れたいと誓った。
6時、I.A(アイコック・アリィ)の幹部3名と共に、関連の神社へ初詣に参る。
額東神社、四十万八幡神社、額西神社、大額一丁目稲荷神社、額新保薮田神社、大友神社、須岐神社、諸江少彦名神社、石浦神社、末町日吉神社、高尾禅ヶ峯神社など11社で、神職在社している須岐神社と石浦神社と高尾禅ヶ峯神社で祈願と玉串を捧げての祓いを受け、四十万八幡神社では、玉串奉奠をした。
9時に朝食を食べ、年賀状に目を通し、10時過ぎ、家族ファミリーと共に、ワゴン車など2台で残りの初詣へと進めた。渋滞の中、1時間かけて白山比咩神社へ、宮司以下、神職の出迎えを受け、新年のご挨拶をし、3家族とも奉串を捧げ、祓いを受けた。
境内の露天で買い物をし、家族それぞれ、御籤を引いた。
私のものは、末吉でしたが、67年の人生最悪の大凶のような内容でした。
一部紹介・・・。「溜り水が腐ったり、古いものに虫が涌くような時である・・・大掃除して新規まき直しを・・・。凡て因習に囚われて災を生じる場合だから勇気を以て行きづりを打ち破って更正すべき時・・・。家庭でも団体でも、古い伝統は表面が良さそうでも、内部が腐敗しているので、些細な蟻の穴から、提が崩れる時が来ている。革新が必要だ。又、獅子身中の虫というか、身近に害をなす者が出来るから注意を要する。親の顔に泥を塗るか、名誉回復かの分かれ目だ。」と云うものでした。
13時過ぎに、旧河内村(白山氏河内町)の福岡の自宅へ行き、仏前でお経を上げ、神棚に手を合わせお参りをした。福岡の佐野神社へ参拝し、墓地へ行き、先祖に対してのお参りをした。
額谷の自宅へ戻り、14時過ぎに昼食(鍋料理)を食べながら、年賀状に目を通した。
(澤飯会長から、表彰されるので出席を・・・の一言)
「年末の恒例の会」で、『自分が市長から表彰されるので、出席をして下さい。』と澤飯英樹金沢市第2消防団団長“金沢市消防団連合会長”から、山野市長同席の場で、要請を受けた。
市長からの表彰は、おめでたいことではあるが、何か口実であるような気がしました。自分が会長として仕切る晴れの舞台(出初式)を観て貰いたい。また、実際、出席することで伝統ある金沢市の加賀鳶や梯子のぼりなどの出初式に対して、更に理解を深めて貰いたいという狙いがあったのでは・・・と直感した。
平成26年1月5日。
当日は、晴天に恵まれ、開式10時の45分前に会場に着き、久しぶりに場内を観て歩いた。
額消防分団を励まし、新竪分団長や犀川分団、富樫分団の有志にも挨拶が出来た。
例年のこの日(出初式)は、雨風か吹雪等、天候が荒れる日が多いため、総ての内容(表彰式及び主催者や来賓挨拶など)がコンパクトで短く、簡潔にまとめられていた。
今日のように、天気が良いと、何故かそれが“浮いて”見えた。でも、総てがこういうことなら、良いなあ・・・!と思い、清々しさを感じた。
特に、式の最初から最後まで出席し、“来た甲斐があった”“来て良かった”と云う思いを感じた。
あけましておめでとうございます。
昨年は、拙い私のブログに目を通して頂き、ありがとうございました。
今年も引き続き、よろしくお願いいたします。
2.)田中博人正月三が日日記
正月3日間の行事と遣らなければならないことを総て終え、安堵した。
何故なら、年末から気になり、心配の種が尽きなかった。
それは、お三方の危篤の知らせを受けていた。
お一人は、福井市の大切な方の母君、もう一人は、弟の連れ合いの母親(珠洲市)、三人目のお方は、父の同級生で出身地で元村議の男性の方。何れのお方も、年を越せるか、正月には・・・と云った状態でしたが、この3日間には、訃報の知らせが無く、真に、頑張られたのだと思います。
私はこれまで「人間関係こそが生きた財産である」という信条を掲げて政治に携わってまいりました。また、目指すべき姿、「信仰心厚く、先祖を大切に、親を尊ぶ、自然の摂理を重んじ、社会に感謝し、現世で生かされている喜びをもって、前へ進む」というポリシーを強く心に持ち、日々活動させていただいております。
現内閣が、第一次内閣に於いて「美しい国、日本」と云う国家ビジョンを掲げ、それは現在も引き継がれているようですが、どうも、最近の政策や戦略を見ていると、このビジョンとの関連性が弱くなっているように感じられます。
日本人は戦略を立てることが苦手と云われておりますが、久しぶりに国家構想を示してくれたことに期待をしている一人として、今一度、このビジョンに振り返って欲しいと願うものです。
さて、今年も「私の10大ニュースH25」と題して、特に印象に残った出来事を挙げさせてもらいましたが、この中でも、私の信条を基に、ポリシーもって取り組んできたことに、少しずつ成果も出て来たと感じております。
また、来年はお蔭様で「政治に携わり40年、金沢で支えられて15年」を迎える節目の年となります。
私と共に行動をしてくださいました皆様に、心よりの感謝を申し上げ、今後も物事には真摯に取り組み、良い仕事をして、ご恩に報いて参る所存です。
本当にお世話になりました。
来年も況して、ご厚誼をお願い申し上げるとともに、皆様のご健勝とご多幸、並びに良いお年に成りますようご祈念し、心からのご挨拶と致します。
(平成25年12月)
「慎」
土曜日と勤労感謝の日の休日が重なった関係で、旗日である感覚、所謂、その日の影が薄くなっていた。
勿論、前日から慌しい毎日であったことも要因の一つかも知れません・・・。
結婚して一度も忘れたことのない「結婚記念日」を当日の午前中まで忘れていた。
11月23日の20時に、相手の都合に合わせた日程を組んだことによるものでした。場所は休日の事務所であったため、秘書が来客の対応を家内にお願いしたことで、“結婚記念日を忘れているのでは・・・!”という家内の囁きが聞こえてきたということです。
“ハァーーッ”と私は気付き、初めての経験であったため、「何か気まずい心境」になったものです。
昭和44年11月23日(1969年)勤労感謝の日に結婚しましたので、今年の平成25年11月23日(2013年)は“結婚44周年”で「45回目の結婚記念日」でした。早速、近くのホテルを予約し、私たちの他に、長男と孫娘を加え、4人でイタリア料理を食した。長男が赤ワインのボトルを張り込んでくれて、まさに、楽しい一時(18時~19時30分限られた時間)を過ごした。
人間関係こそ、真の生きた財産
先月の10月に満67歳になりました。65歳の妻とともに、多くの皆様のお陰様であり、感謝に堪えません。
「日本の文化」を重んじ、「先祖を崇敬」し、「親を尊敬」する。“信仰心厚く”先ず“他の身になって考える優しさ””常に前に進む姿勢と信念”。
これからも「日本の心」を大切にする生き方をしたい。
昨年12月の総選挙で、国会に向けて「維新の塾生」として、初挑戦をし、惜敗をした。
そこで、小間井俊輔君の近況について、気に掛けて頂いている方々に、近況報告を致したく、代表して問うことにしました。
1.維新について今後どうするのか
【回答(小間井俊輔)】
“維新の立直しは、当面、難しいと思われます。”
【助言(田中博人)】
昨年の選挙で投票を頂いた、金沢選挙区42千名、県内比例区114千名の方々に対して、重く受け止め、今後は、政党、所属にこだわらず、国会へ向けて、研鑚を重ねられたら良いと思う。
2.1年間くらい(暫く)は、清閑するのか
【回答(小間井俊輔)】
中央財界で、経済活動を中心に力を蓄えます
【助言(田中博人)】
中央の経済界で実績を重ねることは、良いとしても、心は常に石川県金沢市を向いて欲しい・・・!又チャンスがあれば、中央を7で地方(北陸)を3の割合で仕事を持つことが望ましいと思います。
3.看板、ポスターの期限が来たことで、一度、除外(下ろす)しますか
【回答(小間井俊輔)】
お世話になります。よろしくお願いします
【助言(田中博人)】
一度、総て、外し、下ろしますが、再び掲げられるように努力してほしい
4.結婚式はいつか
【回答(小間井俊輔)】
平成25年11月2日(土)です。身内プラス友人で普通の結婚披露宴です。相手は、選挙時のフィアンセです
【助言(田中博人)】
「おめでとう」本当に良かったです。
徒、披露宴で使って貰いたかった所があり、出来れば、12月中にその場所において、支持者、友人仲間で、お披露目会(祝う会)を計画致したいと思います。
追伸
維新については、現況を踏まえる以前からの問題であり、昨年の選挙後の対応を鑑みて、地方での選挙は限界があると認識しました。
地方では、“地のり”、“血のり”を大切に、組織を作らなければ、「辻立ちやマスコミ誘導だけの風頼り」を中心とするような選挙は、地方には向かないと申し上げて来た。
今は、すっきりとして、白紙で活動したいと思う。
平成25年8月6日(火)~平成25年8月8日(木)の2泊3日で、
中国地方への視察に行きました。
現職の二方の再選を果たすことが宿命であるにもかかわらず、その上、身内の新人の出馬は、私にとって衝撃的なものであり、以来、何故か苦痛の種でした。
昨年の夏頃に出馬の意思が少しあるように見えた時には、真に反対しました。
異業種の団体である商工会組織の中身を熟知しているからで、全国比例区の選挙は、会員の中でもそれぞれの専業種の代表が出られることから、実績が物語っているように、選挙になるとまとまりがなく、結果を出せなかった。
しかし、10月に入ると、全国商工会連合会(全国連)と石川県商工会連合会(県連)とのやり取りがあり、合意したことから、本人の出馬への決意が固まった。その足で私の元へ訪れたので了解せざるを得なかった。機関決定等、一つ一つの順序を間違うことなく、マスコミ発表までの段階を踏むようアドバイスをして、即、次の策を練ることにした。
今回の出馬は、石川県商工会青年部連合会(県青連)会長及び全国商工会青年部連合会(全青連)会長を歴任した故のことでした。尚、30年前に、県青連会長と全青連相談役を務めた私は大先輩に当たる。又、現在、県青連会長は、私の娘婿で、私が理事長を務める組合の本部長(理事)で、㈱アイコックの上田雅大社長であるという縁の深さでした。
今年に入り、上田と同級生の佐々木紀代議士が、別途用件でアポを取ってきて私に接見をした。その場で、私に山田修路氏を紹介するための謀でした。
代議士は、私の人生塾の塾生であり、婿の友人であることを重く受け止め、真摯に会見した。
山田氏の第一印象は、官僚とは掛け離れ泥臭く、反面、静かで奥深く、資質も見識も高く、その上、親しみが感じられた。
直ちに支援を約束して、全国比例区の宮本周司氏とともに、彼らが示した「Wしゅうじ」で行く方針とした。そしてすぐに、金沢市議の「政心研」の仲間と相談をし、その席で、仲間たち6名は、それぞれの立場を理解しながら、「Wしゅうじ」の応援に同意し、一本で行くことを決めた。
尚、私が県青連の会長の折、宮本候補の父親は、副会長を務められていた。その後、旧辰口町の教育長、助役、町長を歴任され、以来、交誼が深まり続きました。
更に、私の弟が旧河内村長を務めていた頃、長男(私の甥)のところへ、宮本候補の妹が嫁いだということで、極めて近い親戚になっていた。
選挙戦(今年に入り)を通じ、宮本候補本人は勿論、彼の父、母、嫁、妹たち総出で金沢を中心に、私と家内、取り巻きの関係者や事務所スタッフの案内で、企業や個人の方にアプローチをし、ローラーを重ね、県政報告会やミニ集会を通じて、少しでも考え方を知ってもらうため、訴えてきました。
何分にも、金沢市内では知名度が低く、しかも、活動期間が少なかったことが最後まで尾を引き、歯痒かった。
現在の選挙内容となって初めての石川県からの全国比例区は、経験が無く、容易なことではなく不安な中で、徒、真っ直ぐに走り、頑張り通しました。そして、多くの皆様のお陰で当選の栄冠を勝ち取りました。
総ての方々のお心を大切に、肝に銘じて、ご恩に報いるためにも、良い仕事をして、応えてもらいたいと思います。
本当に、全国比例区選挙は、難しかった。 特に、3名の方を何としても当選させたかったからです。私の取り巻き、及び関係者を縦割りにして、佐藤信秋氏と大島九州男氏(再選)と宮本周司氏(初当選)の支援体制を取り、それぞれ応援をお願いし、最後まで道筋を崩さず、通してきました。 お陰で、厳しい中で、全員当選したことは何よりでした。 |
今回の参議院選挙で、私の思いの方が、全員当選された。
石川県選挙区の山田修路氏と全国比例区の佐藤信秋氏や大島九州男氏や宮本周司氏を合わせて4名の方でした。
佐藤氏は、私の出身の国土交通省(国交省)の事務次官までされた方で、白山麓の孫に当たる沓掛哲男先生の姪婿に当たられ、永年ご厚誼を頂いている前川秀和道路局長(金沢市出身)の先輩であることから、早くから強力に支援する立場にあった。私の取り巻きを始め、建設業に携わる方々に支援を求め、縦割りの区切りを付けた応援体制で臨んだ。
大島氏は、前政権の折に、唯一、私の所属する組織のエキスパートとして、私から訪ね支援を願った方でありました。この方は、熟知され、真摯に取組まれ、更に、厚労省側からの信頼が厚いということを確信致しました。逆風の中で大変でしたが、立派に勝ち残り、再選されたことに心から敬意を表したい・・・又、政界の唯一のエキスパートとして、更なるご活躍をされ、ご尽力頂くことを期待をしています。
特に、柔整師会と針灸師会とエステ業界等を中心に、私の思いを伝え、応援体制を整え、臨んだものであり、真に嬉しい限りでした。
厚生労働省(厚労省)のエースで、私にとって最も信頼と尊敬している方が、今日までの6年間、自民党の弱体化と政権交代などで、霞ヶ関ルールが罷り通らなくなり、厳しい風当たりをまともに受けていた。
今回の人事で、本省外から復帰し、期待通りの局長に就任された。
医薬食品局長に就かれた今別府敏雄氏がその方で、我が事のように嬉しく、これからは、もっともっと日本のために働いて、必ずやその期待に応えて頂けるものと確信しています。
日本柔道整復師会(日整)の任期満了に伴っての役員人事は、全国47都道府県、1万8千会員を巻き込んでの熾烈な戦いとなり、それを制したのが、私の推す方々でした。
会長に工藤鉄男東京都柔道接骨師会会長、副会長に木山時雨石川県柔道整復師会会長が選出され、二人を軸に信頼出来る友人達が中心の組閣となった。工藤内閣は、「改革推進」と「日整の生き残りを懸け」ての大事な時期に、重責を担うこととなり、大きな課題を背負ってのスタートとなりました。
私は、微力乍ら日整に対して、精一杯の後押しをして、目的の遂行のため尽力したいと思います。
石川県を重点地区として出馬するのは、石川県出身として、初めての経験である。
半世紀前に、小松市出身の女性で、看護師(当時、看護婦)協会から出馬された方がいた。勿論、現在と選挙の仕組みも遣り方も違ってのもので、すでに名簿順位が決まり、政党名で書く。そして、10番位まで確実に当選するとされていた。しかも、特殊な業界の出身で、重点地区にしなくとも十分戦えた。
従って、初めてと云って間違いない。この業界は、異業種の寄り集まりで、過去には選挙に弱く、全国区での成績は、1勝1敗であり、当選した方が最下位であった。今回に限り、与党の風が吹いているとはいえ、所詮は、同政党内の争いであり、連立を組む政党にも、特に意識をしていて、幹部たちを一見すると、勢い良く見えるが、中身はバラバラである。会合や集会の弁士として、出席するものの、下への広がりを見せない現状にある。
今回の参議院選全国比例区で、応援する候補の所属する政党では、29名出馬している。
この政党は、アゲスト(逆風)の際で12名、フォロー(追い風)の際で15名という実績があり、現況を踏まえて、16名から18名は行けるのでは・・・!
しかし、現職の再選を目指している候補者の9名に、著名人が若干名加わると、5名から6名の枠内でなければ当選できないという狭き門である。
又、半年前の総選挙の比例では、政党名を書いたこと、更に、以前まで参議院比例区は、政党名を書いた経緯があり、有権者に戸惑いが感じられる。
参議院全国比例区では、政党名ではなく「名前」を書いてもらう。そして、当選できるのは、名前の多い順番の上から16番目から18番目に入ったものが当選するということです。
慣れない選挙、経験不足な遣り方、下手な選挙と云わざるを得ない。
しかし反面、素人であるが故に、もどかしいが、答えはどう出るか意外な結果が出ることに期待も弾む。
いずれにしても、残された日々を精一杯応援し、悔いのないものにしたい。
「信仰心厚く、先祖を大切に、親を尊ぶ、自然の摂理を重んじ、社会に感謝し、現世で生かされている喜びをもって、前へ進む。」
私の信条とするところです。
さて、近々、“先祖を供養する日本の伝統”とされるお盆(7月新盆、8月旧盆)の日が来る。一年の節目としての大切な日であり、“年中行事”で我が家は、旧盆の8月15日である。
今年の墓参りには、特に真新しさを感じられない・・・。それは、去る7月4日が、平成23年に没した母、法名「清念院釋尼芳華」の命日であり、6月30日(日)に三回忌法要を、7月1日(月)にお一日参り、4日(木)に命日参り、8月1日(木)にお一日参りをしてのことで、続いているからです。
お盆は、先祖の霊を迎えて祭る行事で、先祖の御霊を供養する仏教行事「盂蘭盆会」と日本古来の先祖の御霊祭りが組み合わされ、日本特有の行事となったものです。
1.墓参り(掃除をして、お供えをし、お参りをする)
2.迎え火(先祖の霊が迷わないように、火をたいて迎える)
3.時期や風習は地域によって(名前を書くキリコや大文字の送り火やかんこ踊りや乗本万灯など)
4.盆だな(位牌を置き、故人の好物や季節の食べ物などを供える)
5.送り火、精霊送り(盆だなの供え物を精霊船などに乗せて、川や海に運び流す)
6.盆踊り(戻ってきた先祖の霊を慰めるための踊り)
慌しい昨今では、親戚間でも疎遠となりがちであり、仏事を通して再会することが多い。先祖に免じて、生きている縁のある者が、分かち合うとても良い機会であると思う。
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