2008/1/30 水曜日

風力発電への夢

風力発電への夢

1月8日に、白山市の友人が尋ねて来られた。10月12日に風力発電事業計画書を電力会社に提出した期限が迫っている。だから、延長して貰えないかと云うことでした。

夏の時機に、この話しを聞いてはいましたが、その後は全く情報が切れ、マスコミによることしか知らなかった。
突然の訪問であり、難題の申し入れであった。電力会社の幹部に電話で相談すると、翌日、私の事務所へ来られるということでした。

その遣り取りで、内容の一部を想定することが出来ました。

翌日、1月9日、夕方、二人の訪問を受け、想定した通りのことでした。この件に関し、実現するには、最終打合わせをする前に、三つの事を同時に足並み揃える地点に達っしていなければならない。

・一つ目は、地元関係者(地域町会、企業、関係団体等)の同意。
・二つ目は、予定地の用地取得見込みと環境調査など。
・三つ目は、風力発電関係のシュミレーション(機器材の業者、建設費、コストなど)の詰め。

残念乍ら、欧州の納入予定業者の通貨ユーロが高くなり、5億円以上、当初の目安より高騰したことなどを含め、その地点に達っしていないということです。

1月10日上京する早朝、その友人が尋ねて来られた。

もう既に、無理であるという承知の上で、どういう風に辞退をし、マスコミ発表をするか、又、次の計画時まで充電するとの相談であった。しかし、よう頑張った。本当に頑張った。心から労いを致します。

だが、一人で頑張り過ぎた。ご苦労さんでした。次へ期待し励ましをもしたい。

2008/1/25 金曜日

友人の見舞い(県外へ)

友人の見舞(県外へ)

私の元の同業で村長時代のその友人が、県外で手術をして入院中と聞きました。

以前にも、病魔に侵され、入院されており、見舞にお伺いしました。最近退院され、ゴルフも出来るようになられ、完治が間近いと思っていました。12月に入り、別の箇所に腫瘍が発見されたとも聞き驚きました。

県外の病院であったことから、身内の方が、看病に交替に行かれる際に、叔父と弟たちは、見舞金を託したとも聞きました。

私 は、長年の友人に対しては、身内の方に託すより、どうしても、直接足を運び見舞したかった。「本人も手術後、あまり人に合いたくないだろうし、合っても話 も出来ないかも・・・。場合によっては空戻りになるかも・・・。だから行かれない方が・・・。」という身内の方の考え方でした。

私は「私の心」として、例え空戻りでも、行くことにしようと1月10日に実行しました。病室へ案内され、直接、合うことが出来ました。

ベッドに座っている友人は、紛れもない、彼であり、元気な時の容姿に戻りつつ、回復されていた。
会話もしっかりしていて、色々話すこともが出来、見舞に行って良かった。

2月頃に一度帰られるということで、早期の回復を心から願っております。

2008/1/21 月曜日

同省出身関係者との情報交換会

同省出身関係者との情報交換会

一年に一、二回の開催実施をし、今や恒例となった、同省出身者との情報交換会を、去る12月末に開催することが出来ました。

私の出身省ということで、その末席を汚しており、国の直轄の出先の長が2人、県、市の出向者、外郭の団体と一同に介するもので、いつも話に花が咲き、4時間位の時間が直ぐ経って終う。

それぞれの立場で、現在、取り組んでいる事、何を求められているか、どう助力出来るか、正に建設的で意義のある会話であり、私も、社会の空気を遠慮なく申し上げ、中へ溶け込ませて頂いております。

同省の関係する難題には、当然、我が事のように真剣に取り組ませて貰いますが、何よりも、筋を通すことと、正義と良識の中で人間関係の大切さと、信頼関係が無い限り、解決出来ないと信じて、邁進しています。

近日中に次回の同会を開催出来ることを楽しみにしております。

2008/1/20 日曜日

白山比咩神社は我が心

白山比咩神社は、我が心

昭和49年に初めて神社の御奉仕に加わった。

父の経営する会社を継承した、その会社の社名に使わせて頂き、家内が巫女(現在、舞姫)として務めていたこと等をご縁に、経営をする立場になって間も無いことであったが、喜んで御奉仕をした。

以来、崇敬者総代になって30年経ち、神社の行事には積極的に参加し、お一日参りを続けて二十余年になりました。昨今は、二人の息子の嫁と孫達と集団で、朝6時にきめてお参りをして、3年数ヶ月が経ちました。

白山比咩神社については、【ひろと日記】の中でも何度かご紹介をした通りです。

30年の間に、宮司は二代目、総代会長は五代目となりますが、現在の宮司と総代会長は、2100年事業や神社の将来について、真剣に取り組まれ遣る気が見られますことから、しっかりと支え、応援するつもりです。

そして、私は、我が心の糧として、これからも白山比咩神社の大神様を崇敬し、御奉仕を続けていきます。

2008/1/18 金曜日

地元有志と研修視察

地方有志と研修視察 1/12(土)

金沢選挙区で議席を得て、何事も陰日向なく、一生懸命、真摯に取組んで参りました。

口コミに寄って、地元地区は勿論、市内全域、県内全域へと広範囲にお世話をさせて頂きました。

しかし、支持者の側近者から〝自分であれをした、これをしたと云うな・・・・。我々がその実績を代わりに訴えてやる・・・。〟

との意志を私に伝えられた。

その機会が来ました。地元有志の発案で「県議の携わった件、実績を見て歩こう」という意見が、直ぐ決まりました。

1月12日(土)、中型バス1台チャーターして、約30名で地元三校下の有志が市内全域の要所を見て廻り、その地域の関係者の説明を受けて参りました。

参加者は「大変、勉強になり、県議の分身として、スポークスマンとして、これから責任を果します。」との見解を示し、意義ある視察に絶賛した。

詳細については下記報告書に記す通りです。

視察報告書.PDF←クリック

2008/1/16 水曜日

私の税制改革

私の税制改革

1.先ず国内対策から

給油新法が参議院で否決、衆議院へ戻し、3分の2以上の賛成なら決定という法律にあるものならと云う事で、議決、成立し2月1日より給油再開となった。

国際貢献を正に、優先したものである。私の云いたい事は、国際貢献の必要性については、充分理解するが、我が国の現在の国内事情に於いては、国際社会でその資格があるというのだろうか。

薬害C型肝炎を5年間の長きに渡り引っ張り、和解期限まで返答が出来ず、次には議員立法でということで、やっと全解一致で議決し、和解合意調印を、去る、1月15日に行った。ということ。

この戦いと、運動を通じて、政府や首相より、5年間頑張ってこられた患者さんや、その関係者に心から敬意を表したい。

年金も3月に一つの区切りを、否、一人一人の解決を心から期待し、願っていたものを、軽薄で無責任な発言で国民を怒らせて仕舞った。

原油の高騰で、石油製品の値上げと、それに伴い物価が次から次へと値上げされ、国民生活に影響を及ぼしている。

年金問題の解決、物価と株価の安定、更に捻れ国会と行革や構造改革等の中途半端な遣り方に、国際社会、とりわけ、米国から見て、我が国の信用が失墜しているように思える。

給油新法を決めたような大きなエネルギーを、今これに費やすべきであり、国際社会から信用を取り戻すことのほうが先決であると思った。

因みに、1993年の国民総生産GDPに対する、国民一人当たりの所得は、世界第2位であったものが、現在、18年後には18位にまでなっていることを。

2.納税の内から目的税としての選択を

税金が世界の水準から高いとされる。高額納税者について一言。
高額納税者は、少しでも税金の安い国へ移住(市民権の獲得)しようと試み、実際続出している。
我が国の納税システムは、高額な納税しても、何にどのように使用されているのか、全く解らない。”貰うものは貰います。”といった納税に対して、雑駁 (ざっぱく)に取扱い、いざ、”出さなければならない助成金、補助金等”には、制約、細かい書類、諸条件などで絞り、縛って心が無いように見えてならな い。

それなら、せめて高額納税者に、例えば、一千万円か二千万円以上の納税者に、納税額の3割位までを目的税として選択出来るようにする方法に出来ないのか。

目的税とは、教育、環境、福祉など限定し、更に事業内容についても指定することが出来るようにすれば、正に、ステータスな思いと、自分の納めた税が、生きたものとして誇りを持って費やすことが出来る。

今までと違って、高額納税者のところへ、陳情に、知事や市町村長などが足を運ぶことになり、自分の納税の一部を自分が正に、選択する事が出来る。

東京都の知事にお許しを頂いて、”ふるさと納税”として改正するような馬鹿げた事は止めて貰いたいものだ。

因みに、東京の最近5年位で税収の伸びは自然増収だけで、一兆二千億円になり、”ふるさと納税”として該当する法人税などだけで、五千億円の伸びがあり、 そのうちの三千億円に当たり、何故、首相や自民党の税担当の国会議員が、頭を下げて頼まなければならなかったのだろうか。

尚、その代償に知事は、数倍の大型事業(開発)の約束を取り付けたとか。全く言語道断なことである。

3.ガソリン税等の値下げを

将来の社会福祉に対する不安な中、物価上昇などにより、国民生活へ大きな影響を及ぼしている今日、政府や国会議員は、本当に真剣に国民のために、取組んでこられたのだろうか。
給油新法を通すだけのエネルギーを、真に、国民生活に向けて来れたのだろうか。

(1)オペックの生産調整等で、世界中の原油の高騰に繋がったと思われ、外交等を通じて、少しでも価格を抑えることが出来なかったのか。

(2)日本に入った原油価格を抑えたり、税を暫定的に調整をすることなどをして、価格を上げないようにする策が無かったのか。

(3)ガソリン価格などの税部分の25円、約二兆六千億円の内、何%かを暫定的に財政的裏付けをして、その分、石油製品等の価格調整が出来なかったのか。


さて、ここで、【道路特定財源の暫定税率問題】について一言道路特定財源の暫定税率及び期間について明確に申し上げたい。財政豊かな大都市は、財政基盤の脆弱な地方とは区別(特に負担率など)を大きくすべきということです。私は、道路特定財源は暫定では無く、恒久的にすべきと思う一人です。勿論、必要性(継続性)に賛同するが、その内容に一言申し上げたい。

歴 代の内閣で小泉首相まで必ず景気回復の対策として公共事業の補正をやって来られた。その折、熟憝不信に思い感じられた事は、大都市と地方の立場や、その補 正の使われ方でした。提示額の半分以上が債務負担の償還か用地補償費に当り、その大部分が大都市に集中し、その為地方との格差が広がる許りでした。

1.道路特定財源の税率の同額の継続について

比較的、大都市は税収に恵まれ、財政が豊かとされる。従って、財政基盤の安定規準又は、税収の予算に対するウェート等きちんと基準を決め、その線で豊かな都市部(A)と財政基盤の脆弱な地方部(B)に分ける。

そこで、道路特定財源の約25円分は約二兆六千億円と云われ、その内一兆六億円の分は(A)に該当することから、この分15円位は直轄事業を含め、都道府県の負担分を(A)地区に限り上げること、又は自然増収等限定して裏負担が出来るものにする。

何れにしても、特財の総額を下げないで(A)地区にその分を負担して貰う。

2.ガソリン税か道路特定財源の税率を下げる。

10円分に当たる約一兆円は、(B)地区が道路事業を今まで通りの範囲で遂行出来、地方の道路財源は従来より減らない。

そして、財政基盤の脆弱な地方は、道路整備が順調に進み、住民(国民)はガソリン税か、道特財の税率を下げることにより、ガソリン代を15円下げる恩恵を受けることになります。
全く素人の虚言と云われるかも知れません。尚、肉付や裏当てについては、実質専門家に・・・・。

このことをその方々に遺って頂きたいと思います。例えば今、話題になっております建設債の発行等を暫定的に考えても良いのでは・・・・・・。

10年計画で、公務員の定数を20%減らすことや、国会議員の定数を衆議院議員を480人から300人に、参議院議員を250人から100人に削減すること等を実行して貰いたい。

尚、この際、道特財をどうするか審議する中で、公安委員会の設置基準として限定されている。交差点の信号の新設については、改正をして欲しい。

道路新設に限り、公安委員会の設置基準の下で道路管理者が、道路予算(道路特定財源)で施工、設置出来るように、既設の道路の未設置箇所が、順調に設置されるようになるためにも・・・。

2008/1/15 火曜日

今年の新年互礼会

今年の新年互礼会 1/6(日)

例年の新年互礼会を1月2日にしていました。

この日に地域や政治関係者の互礼会が集中していて、〝出られる序に一回りする〟ということで、一部の町会役員や営業関係者等には好評であった。
が、しかし、私が他の会に顔を出すか、出さないか、又、私自身の互礼会に折角来られても、ご挨拶が出来なくなるという繰り返しになることで、決断を為さざるを得なかった。

昨年は、1月3日に、今年は、1月6日(日)にさせて貰った。

今年は、最も多数の皆様に、お越しを頂き、本当に有難かった。それぞれのご都合があるのだと、二〜三年で大体理解出来たようだが、未だ未だ定着するには不偏性である。

明年は、1月3日(土)16時〜20時にすることに理解を求めたい。ゲストや後援会の幹部、心ある方々にお顔を見せて頂けるようにするには、もっと研鑽を重ね、内容あるもの、心の籠もった応対が出来るようにしなければならない。

子供たちのための部屋「アニメや飲食関係」、一人に一品(食)、周りに椅子セットを、一階では案内と写真、二階では応対、特に初めての人に対する気配りをしなければならない。

次年度からは、新年の最初の行事ですので、万全の体制で挑むようにし、心からの持て成しをする。関係者で結束をして望みたい。

年賀状は日本の文化

年賀状は日本の文化

パソコンや携帯電話の利用拡大に伴って、印刷業界は、大きな転換期を迎えている。時代のニーズに応えられる商法が確実に求められている。

しかし、年賀状の世界は「温故知新」の意でも、どうしても残したい日本の文化であると考える。

賀状がインターネットやメールなどのものと、パソコンや印刷文字のものにも、目を触れることが少ない。しかし、挿入してある筆やペンでの内容には、しっかりと何千通であっても、目を通すことになる。

今年は、年賀状が大きく落ち込んだようだが「日本郵政公社」に頑張って欲しい。

民営化して最初の難儀なハードルだったかも知れません。是非、乗り越えて貰いたい。様々な工夫を重ねて、粘り強く、この日本の文化を守り続けて欲しい。

私は、年賀状のファンであり、日本の文化だと確信している。

2008/1/11 金曜日

身近な動き

身近な動き


1.実母の・・・・・。父は、87才(大正9年生)母は86才(大正10年生)であり。現在二人供、特養施設で世話になっている。昨年、12月17日に理事長(院長)より電話があり、母を病院へ入院させることと、次の処置で相談があるということでした。19日に家内と担当医師の説明を受けた。先日、痴呆症の簡単な試験を行ったら、30点中7点であった。21点を境に軽い痴呆症と判断されるという事で物(食事)を食べないし記憶も薄れているということでした。私たち夫婦が母に合った折には、はっきりと覚えていることと、顔を見るなり“河内の家へ帰りたい”と何度も繰り返して求められた。私は、“今度の日曜日(23日)に連れて行こう”と伝えると家内が、母の耳もとで“お父さんが今度の日曜日に家へ連れて行く・・・と、だから、沢山食べないと駄目やぞ、食べないと家へ帰れんよ・・・。”と云うと“ウン“と答えた。会話も遺り取りも、はっきりと解ることなので、あの診断は何だったのだろうか。きっと最も体調の悪い状態の時の事だったのでは・・・。と思った。担当医師 からは、何も食べないと大変なことなので「水分を送る異物を埋め込む」か「胃に食べ物を直接入るように穴をあけ、チューブで送るようにする。」か何らかを 選択して欲しいということでした。

私たちは、即「異物にして下さい」と答えた。すると、医師は明日夕方にその手術をすると いう。12月21日無事手術は終了した。12月23日(日)に約束通り父母を迎えに行きました。父を家内が特養施設へ、私と弟夫婦で母の病院へ迎えに、こ の時も弟夫婦をはっきりと覚えていた母は、未だ痴呆症になっていないと確信し、異物の埋め込みにして良かったと思った。

これからも、天気を睨み、良い日には出来るだけ願いを叶えてあげたい、そして、時間の許す限り、父母との時間を作るようにしたい・・・。今の気持ちです。


2.恩人弟の妻の父にあたり奥能登の人です。選挙が好きというか、忠実(まめ)で世話好きで、ずけずけ物を言う、筋の通った素晴らしい人です。私は、過去9回選挙をし、連続当選出来た恩人の一人であり、特に金沢市での三回の選挙には、奥能登の出身者へのお願いをして頂いたり、大変な役割をして下さいました。その恩人に異変が・・・・。以前に大手術をして、やっと完治と安堵をしていた矢先に重病という知らせ・・・。何故、あの時に発見されなかったのか・・・?悔しい思いをし、弟からの12月13日の電話に対応した。“子供たち三人供、金沢に居ることだから出来れば転院を・・・。”という声なき声に即行動し、市内の各医に電話して紹介して貰い転院の段取りまでして終った。子供たちの言う事を中々聞こうとしない頑固で理屈を語る面も・・・。12月16日(日)私たち夫婦で奥能登までお見舞いに参り、説得しようと試みたが、自分の思いについて喋りっぱなしで断念・・。ひょっとしたら、あの方は「ホテルに泊まっているか、旅行をしている心境でいるのでは・・・」と思う位の調子の良さでした。

翌日、お世話になった市内の医師に事情を申して、謝りに行きました。二日後“副作用で食べ辛いから”と連絡を受け、又謝って再度お願いをし、12月25日に市内へ転院した。

病人でお年寄りの我が儘を出来るだけ聞いてあげ、三人の子供たちや私たち親戚は精一杯尽くし、見守り、心を通わすことが一番だと思う。

本当に早く元気になって欲しい・・・・。


3.孫の慶事嫁いだ娘の長男が、今年4月に小学校へ入学する。おめでとう。
早いもので、二人の男の子は、上の子は小学校へ、下の子は4才になった。結婚以来、私たちの住む町内で新居を構え娘の勤めの関係で毎朝二人を我が家へ預けて行く。家内が、二人の世話をし、保育所へ送る毎日であった。こんな日も、少しづつ時とともに変わって行き、上の子が小学校へ行くと下の子が一人になる。三人目、女の子だったら・・・と色々考えているようだが、長男の子供は二太郎一姫であり、どちらにしても、子供は三人が良いと伝えたい。


4.家内の還暦私が赤い”ちゃんちゃんこ”を着て、二年経った。二つ年下の弟や家内が、今その時を迎えている。
厄年を祝う行事は、地域によってそれぞれ違うようだ。神社庁の統一した見解を尊重することを第一に、還暦に至っては、我が家でその時機を決めたい。「六十年すると再び生まれた年の干支に帰る」ことから、数え六十一歳のことを云う。そこで、家内の還暦祝いは、昭和23年5月9日生まれなので、平成20年5月9日以降(満六十歳)に、家族揃って遣りたいと思っている。二人で”旅行”をと考えている。家内には父母や孫たちを”預けっぱなし”、”任せっぱなし”なので、一つの節目に、家族と自分の「心」を示し、「感謝の意」を表したい。

そして、将来に渡って、健康でいて欲しいことを祈願したいと思っています。


5.長男の快挙余り、口にして威張ったり、得意気にしないことから、全く解らなかった。『金沢検定』とは、話題性があり、関心度も高かった。その『金沢検定』に息子が合格したということを、口コミによって聞かされた。
驚いたことは勿論、何時、勉強したのか、金沢について詳しくなったのか・・・その方が不思議であった。聞くところによると、”我こそは、金沢を・・・。”という多勢が挑戦したことから、合格率が一割台という厳しいもので、JCからも沢山ノミネートしたらしい。
JCの仲間で、息子一人が合格したというから、正に「快挙」と云って良いだろう。親馬鹿で、”お祝い・・”と先日、欲しいものを聞き、プレゼントした。誰であれ、嬉しいことは率直に喜びたいと思う。


6.友人の初孫中国や韓国などで、手広く鉄工業を営む友人に、初孫が誕生した。私が、この友人の娘に婿をと依頼を受け、二人の出会いからセットをし、最初から、結婚当日の仲人、媒酌人を務めさせて貰った。というご縁を頂いた大切なカップルであり、ご家族でもある。友人の夫人は神職の長女で、お父様は長年、金沢市職員を務めた人望のあるお方で、私の住まいする神社の宮司をもなさっているというご縁の人。また、婿さんのお祖父様も、世話好きで、地域の実力者でも有り、家族の大黒柱として尊敬される人物で、私にとっては、この件で、何回か足を運ばせて頂き、素晴らしい人と実感をしたお方であります。このお二方の孫にあたる二人ですが、近年、お二人とも、残念乍ら他界され、今でも惜別の思いが強く、いつも偲んでおります。そこで、このお二方の生まれ変わりだから、必ず、男の子が生まれるだろうと信じていた。

平成19年12月22日、15時23分。3,054gの男の子が帝王切開で誕生。名前は「望(のぞむ)」とし、24日に家内と、お祝いとお見舞いにお伺いし、しっかりとお顔を見せて貰った。

祖父ちゃん似、所謂、友人に似ているということです。

このご家族には、お二人のお祖父さんのご加護なのか、”善いこと尽くめ”。
中国の合併会社も、単独経営に。本社の近隣に、今年から造成する工事用地に大掛かりな新工場計画を立て、進出する予定。

そして、長年の功績で、勲章を授かり、大学院へ在学する等、好い事尽くめ、その上、初孫「男の子」誕生。
本当に重ね重ねおめでとうございます。
私も、我事のように嬉しい限りです。


7.Ikoc.Aの安定経営と躍進Ikoc.Aにとって、今年が「世紀の変革の年」平成二十年であると位置付けをする。
極めて、ウェートの高い事業が、この1月、2月に掛かっているということです。この時機をクリアすることにより、このため取組んで来た職員の遣り方が肯定され、自信にもなる。
そして、何よりも、今後の方針を新たに希望の中で立て、安定経営に繋がる。多角的な商法で、工夫とアイデアを持って、隙間産業とアウトソーシングの分野で大いに活躍したい。
全職員、総力を挙げて突き進みたい。その躍進の足掛かりが、この月に掛かっている。

8.新起業の設立Ikoc.Aと白山グループ総社の二つの流れがある。一、Ikoc.A
(1)S.R.C・・・「人材派遣業」の充実(国際的にも)と「医療機関の人材確保」
(2)ICES ・・・「家庭サービス業」及び「何でも引受け業」の定着
(3)DIAN ・・・「総合的結婚サービス業」及び、更に「まとめ屋」二、白山グループ
4つの企業のほかに新起業の設立を
「新たな代理店企業(電気業)」
「建設技術者等総合人材派遣業」

9.国外研修(台湾就航)昨年、12月と今年の3月、4月なのか、現在、6月というふうに就航の時機が定まらない。正に政治の不安定なところにあるのか。所謂、小松〜台北間の定期便に関することで、中国も関与しないとは云えない。四年に一度の後援会活動で計画したく、この時機に興味を抱いていた。今となっては、後援会としてまとめて実現することに難しさが出た。しかし、私の家族や、家内とのこれからの計画に、又、AやGの計画がし易くなったことは間違いない。慎重にその実施目的、内容、時機を詰めたい。


10.家族の結束(年末旅行)
12月29日〜12月31日。正月の準備、年越しの準備を早めにして、年度末にファミリー旅行を計画しました。行き先は淡路島で、その主役は、孫たち5人でしたので、サンダーバード、新幹線、観光バス、公園の乗り物、瀬戸内海の船(初めて太平洋横断をして米国へ渡航した)など、様々にしました。ホテルも遊戯や買い物のOKのところ許りを廻り、天候は極めて寒かったが、めげずに、我がファミリーは一体となって行動しました。正月(互礼会)には、多勢のお客様を迎えなければならない。私の関係で、冠婚葬祭など、いつも気を遣わなければならない。こんな時に、子供たちに喜んで貰い、楽しんで貰う。そして、皆で寛ぐ、意思疎通を諮り、団結心を確認する。多くの意義を持って、3日間の旅を終えた。

”さあ、多忙が待っている。”

と帰りの汽車(電車)の中で・・・呟いた。

2008/1/9 水曜日

継続事業の動き-その3

11.白山比咩神社2100年祭事業

日本の三名山(富士山、立山)と仰がれる「霊峰白山」は、「越のしらやま」と歌に詠まれ、白山比咩大神の鎮なる神の御山と尊ばれ普く尊敬される霊峰白山の「まつりのにわ」として奉斎されているのが、白山比咩神社です。

御神紋は、三子持亀甲瓜花(みつこもちきっこううりのはな)です。

当神社の創建は、古伝によると崇神天皇七年舟岡山山頂に、遙拝所を設けたことに発し、神地は、応神天皇の二十八年手取川畔に遷座、更に元正天皇の霊亀二年 詔(みことのり)して東南の地に遷(うつ)されたのは、古宮址(ふるみやあと)即ち久涛(あくど)の森で、文明十二年御本殿が炎上して、三宮の現社地に遷 り、約七百六十四年間の鎮座地となった。

当神社には、歴代の藩主らが寄進や参詔された。前田利家が金沢入城三年後の1586(天正十四年)年に最初に金品を寄進し、これを皮切りに奉加を重ね、社殿再建を果たす。

二代藩主利長、三代藩主利常に引き継がれ、白山禅項に1619年(元和五年)に社殿が建てられ前田家三代に渡って白山宮再興事業が行われた。

幕末の1864年(元治元年)に最後の藩主十四代慶寧(やす)の夫人が二千人のお供を連れて参拝された。

白山比咩大神は、菊理媛神(くくりひめのかみ)伊弉諾神(いざなぎのかみ)伊弉冉神(いざなみのかみ)を祀る。

尚、白山、金剱(けん)、岩本、三宮からなる本宮四社と中宮、佐羅、別宮から中宮三社を加賀下山七社と云い、白山七社とも云われ、一方本宮の当神社を下白山と云い、現在白山(しらやま)と云い、山は白山(はくさん)と音読として区別する。

白山奥宮境内地は、全山「国立公園白山」の中心となり、大自然を守っている。

又、白山を中心とするものを世界遺産(文化)として登録して貰えるよう「ノミネート」している。その皮切りに御本殿を白山市に続いて石川県の有形文化財としてに指定された。

二千三年〜二千八年(平成十五年〜平成二十年)に御鎮座二千百年式年大祭事業として、手水舎新築工事、斎館移築並びに車道新設工事、楔場造成並びに付帯工事、遊神殿新築工事、社史刊行など遂行し、秋には数日掛けて盛大な式年大祭を執行する予定である。

その際、霊峰白山をご神体とし、白山神社の総本社、白山本宮として全国に神社本庁登録などの二千数百社に、ご案内をすることを新年の総代会に於いて、会長が明らかにされたので、私は即、賛意をした。

直ちに大祭の委員会の発足と系列とされる全国の神社の名簿を作ることを決めた。

第3代目になる宮司の熱意と力量で、2100年事業が推進された。
しかし、昨今、高齢等により体調を崩され、心配される時機があった。現在、復帰はしているが、充分健康管理に留意して、秋の大祭をしっかり、遣って頂きたいし、未だ未だ神社にとっては貴重な人物であり、御身体を大事にして頂きたい。

秋の大祭が楽しみです。

12、伏見台2丁目交差点と富樫大橋歩道橋

先のブログで記述した通り、交差点の改良、右折帯設置に伴う信号、街灯、消雪装置の移設等については、昨年内に着工出来なかった。複雑な箇所で準備等に時間が掛り1月中に完成の予定です。

次に、富樫大橋の歩道橋の設置についても、年度内に着工し、新年度初旬の早い時期に完成をする予定です。

継続事業の動き-その2

4.地方議員観光推進協議会

平成20年4月には、国土交通省観光局が、経済産業省などの一部を加えて昇格し、「観光庁」となる。

又、平成19年10月12日に、金沢地区の観光に関する情報交換会を地方議員の有志と、市内の観光団体の代表とで行ったことは、先の【ひろと日記】で記述した通りです。

その折、一致して観光の重要性を認識し、次には市内の要所を視察するということを約束致しました。

平成19年12月21日に、県議の有志を新たに加え、市議有志と観光関連団体代表とともに、バスにて要所を視察しました。

参加者は、金沢に住んでいながら、金沢を知らなかったということを新たに認識し、大変有意義な内容であったと、口を揃えてその成果を称えた。

その報告内容は次の通りです。

金沢市内観光事業主要機関視察報告書 PDF

5.鳥獣類害防止連絡会

県内には、鳥獣類害防止対策に関する団体は少なく限られた地域にあるのみです。
何れも熊、猪を中心としていて、金沢市、白山市、小松市、加賀市の4市で事務連絡、情報交換をする事務スタッフの組織である。

先の【ひろと日記】で記述した通り、鳥獣類とは他に猿、鳥、鴨などを加えると能登地区を初め県内全域に該当し、その必要性を痛感します。

平成20年度予算で、農林水産省は鳥獣類害防止対策費と併せ駆除に必要な経費、資格を取得するため等に助成をすること等を初めて計上する予定であると云われております。

本会は、ハード事業をする機関では無く、情報と連絡を密にすることを主として、石川県全域を対象に、石川県鳥獣類害防止連絡会と称し発足したいと考えている。

順次、市町単位に市町と農協、森林組合、猟友会とで地区支部として組織化をすることが望ましいと思う。


6.銃砲火薬類取扱連絡会

我が国は、銃規則が強く、使用には極めて厳しい注視の目を向けられていた故であった。しかし、昨今、銃による事件や事故が相次ぎ、国民の不信や不安を掻き立ててしまった。

去る平成19年12月18日に、緊急に県内の鉄砲火薬類の団体代表者が、相集り対応を協議した。そのまとめは次の通りです。

県鉄砲火薬類取扱連絡会 まとめ PDF

又、その後も銃による事件が相次いでいることから、警察当局の調査追及や確認が厳しく実施されている。

次には連絡を密に有志による銃砲火薬類取扱連絡会を発足することを望んで止まない。

7.サイン計画と必要不可欠な道路

県外へ行った時、初めての道路を走った時道案内の看板の必要性を痛感する。確かにナビゲータがあってもその位置、方向性に必要不可欠である。

しかし、看板もある程度規制も必要であり所によっては景観を損なうものも多く、快適なドライブをする上に、スマートな中にその役割を果たせるように設置して貰いたい。

特に、複雑なインターには、解り易く、見易いようなサイン計画を立てて、実施して欲しい。又、当時平面図を基にし安全性と交通量とその流れを推定して、設置したインター周辺に大きな変化と利便性から必要不可欠とされる取付道路を広範囲なエリアで熱心に求められている。

私は、その必要性を実感し、関係当局にしっかりとアプローチをして行かなければと思っています。

8.区画整理事業

全国的に、他事業と比較すると区画整理事業は急速な普及率となり、都市計画道路など幹線道路や、下水道事業などを併せて、急速な勢いで実施されてきた。

その地域に対する役割は極めて大きく、それぞれの〝まちづくり〟に大きく貢献し、一つのまちを形成している。

しかし、どの事業区でも保留地の処分に悩まされ、頭を痛めている。そして、スーパーなど大型店の誘致には、どの地域でも同じような形で求めているように見える。

事業が完成して、数年経っても、未だ保留地が40%を占めるという箇所があるように、それは、次の地域へのステップを踏み憎くしている現状にある。

6〜7年前に、区画整理事業のピークの折、この地域でも声が掛かり検討したが、ここ位はこのまま農地として残そうということで話が納まっていた。

ところが、世代の交替と浅野川の向いが区画整理事業で見違えるように変わったため、俄かに煮詰まってきたもので「事務的負担が掛からないように」と、「10人の地主が揃って参加すること」の二つを条件としての考え方でした。

当初、民間の開発行為で計画をしていたが、不可能と理解し、唯一可能とされる区画整理事業で実施することにしましたが、現在、減歩率と保留地の扱いで問題が先送りされ、凍結している。

事業許可も、ハードルが高いが向い地域と山側環線との一体化をするための橋梁建設と市道延線が不可欠とされることの現実を認識し、将来の価値観を考えるならば、近い内に善い方向で結論が出ると信じています。

9.建築許可(構造)申請

近年偽装事件が相次ぎ、チェック機能やシステムの甘さを指摘されたことから、関係者には見直しが迫られた。
法律の遵守と規則の履行を徹底したことが原因となり、許認可を受けるには数倍、時間が掛かるようになった。

悲鳴をあげたのは建設業界だけでは無かった。句論、建設業界とは、建築設計、建築業、電気設備、空調関係、資材器機業、他に諸々となります。

従来の計画で進めていた鉄工、自動車業界では、時間が掛かる事によって大幅な見直しや計画中止の事業所も出てしまった。

その為に、経済が停滞し、景気に及ぼす影響が甚大となり、改善が迫られた。

何れにしても中途半端な法律や規則では対応出来なく、もっと実態にあった国民から求められる正しきものに、早急にして頂きたい。

10.金沢能登連絡道路

昨年8月4日に、国会議員や国交省本省道路局と、整備局の局長などの臨席を仰ぎ、華々しく起工式をした、金沢市粟崎〜内灘町大根布間三、四キロを直線化する工事に、“まった”が掛った。

「道路騒音で馬が暴れ、乗馬クラブの運営が成り立たなくなる」と県を相手に、金沢地裁に工事差し止め訴訟を、起こした。

「以前にも道路計画が発表された折に、図面を見たい」と相談を受けた覚えがある。
去る、8月4日に起工式が決まってから慌ただしくなり、「どういう考え方で、計画が進められているのか、図面を見たい」と社長自身が尋ねて来られた。

次の機会に、県の土木部長等と市の整備局長等にアポを取り、V10社長と、金沢リンクスの支配人を同行して案内をした。
平面図を見られて以前のもの等、今日までの中で、どうも納得出来ないようであり、特に県の土地であったものを、市経由でコマツの予定地に売るようになっていたことが不信感を呼び、次への行動と移って行ったようだ。

そこから訴訟を起こすことを決意し、弁護士等と相談の上、資料収集をし、裏付けをもして、4ヶ月間掛ったようです。

家裁へは年末に訴訟手続きをしたその足で、私のところへその報告と名前がニ、三出ることの理の挨拶に社長がこられた。

新年明けて、社長親子にある所で会った折に、「マスコミに知れ、騒がしくなるでしょう」と私に云われた。1月8日に、県へ仁義を切って、1月10日にプレス発表をするとの挨拶をしたことを、当日、名古屋から上京中の私に社長から電話があった。

私は7日からプレス発表も、社長が発表当日、県内に居ないことをも察知していました。

何れにしても、私は道路の必要性に対しては「必要であると考えていること」と、併せて「音に弱い馬に、どうしたら構造的な変更に基づいて、両者が納得出来るよう結論を出せるか」が、焦点であると思い、何とか解決(和解を含め)を願っています。

1月10日(木)〜11日(金)のプレス記事は、次の通りです。

新聞記事2008/01/10夕刊〜01/11朝刊 PDF

継続事業の動き-その1

(3)継続事業の動き

 1.神谷内インター

先に、二回に渡って、記述した通りです。
徒、当局の思惑、シナリオとの見解の違いが、少々、あったようだ。

昨年の10月25日の私の事務所(執務室)での「四車線と移転」の合意については、上部機関や移転予定地土地所有者などの配慮から、「四車線」の合意とした。

11月29日、30日の両日には、法面及び、用水付替予定地及び、移転宅地に関する「用地の境界」について合意をした。

更に、12月16日に初めて、移転補償費の提示があり、考え方、数量などの説明を受けた。

そして、12月28日には、窓口の夫妻にとって「善い日柄」ということもあり、この日を補償内容、補償費の最終確認日とし、そして合意となった。

当局は「移転先」を合意したと発表した。

明けて、平成20年1月9日。

この日も「善い日柄」ということや補償契約の事務手続きの関係から
補償契約を1月9日付けで行うこととなった。

この一連の行為については、私が全て立合いをして、参画致しました。

声を大にして申し上げたいことは、この期間

「当局と島村家とは、完全な信頼関係の中で進められた。」ということと、「最初に提示した補償額を、そのまま受けた」ということです。

特に、インター周辺の中傷的な扇動を受けた市民の皆様に、強く、その意の理解を求めたい。

又、1月6日に行った、私の新年互礼会に、窓口夫人が顔を出された。

神谷内インターについては、極めて関心が高く、司会者によって紹介をしたため、止む無く、挨拶をされることになった。

「この度、田中博人先生のお陰で、明るい正月を迎えることが出来ました。」と云われた事は別として、次に、「大変、長い間、皆様にご迷惑をお掛け致しました。・・・。間もなく工事に掛かれると思います。」と云われ、参加者の大きな好感を得ていました。


 2.山側幹線平成18年4月15日に、山側幹線の全線が開通した。先に記述した通り、市内の交通形態を変え、広く、加賀地区方面と、北は富山県、能登地区から便利と評価され、大いに利用されている。しかし、全線(直轄区域、県市施工、区画整理事業)を一同に、開通しようと試みた影には無理があったようです。二箇所有り、一箇所は、個人の所有地で、15年以前よりの経緯、当局とのボタンの掛け違いが有り、それが双方の感情に繋がり、完全に解決されていない。所有地は、当局に登記されているが、その土地の抵当権(金融機関)が付き担保されている。代替地の登記手続きが、処理されていないという現状でした。一方、もう一箇所は別の機関で、その当局は起工承諾書を交わして着工、完成したもので、その代替の手続き等が済まされていない状況であり、先の当局の”とばっちり”を受けた要素が感じられた。その土地の所有者は、先の一箇所の個人所有者が代表を務める、法人所有のものです。折角、評判が良い幹線道路に、水を差す状態をいつまでも続けてはならない。

況して、期間にも限定があり、又、幸いにして以前より求めていた隣接地の所有者に変化があり、売っても良いという方向に傾いたことで、一挙に機運に達したと察知された。

その上、当局両者とも、責任者に遣る気があり、自分の責任で解決したいという、強い意思が感じられた。

また、その両局の所有者にも僅か乍ら、解決出来ればという意志を感じ取ることが出来た。仲介をし、平成19年中に何とか、ということで、何回か双方での詰めをした。

平成19年12月28日、御用納めの日に、双方の考え方等により、5回位の手直しを経て、「覚え書」を作成した。

その、「覚え書」を交わし、合意調印を私の事務所(執務室)で行った。

誰しもが、「これで、すっきり新しい年を迎えることが出来る」と安堵した。

さて、1月4日から事務作業が開始され、「覚え書」に基づいて、淡々と進められ双方の仲介、立合い人として、しっかりと見定め、万全の体制で全ての事業の完了を目標に、務める覚悟でおります。


 3.森本駅前広場なかなか動く様相が見られない森本駅前の整備について、危機感をもった地元の駅前商店街の代表者が、当時の地元市議と共に、平成18年7月20日に国交省へ陳情をした。この事業の困難なことは、承知の上での事でしたが、私の思惑もあり、その行動を取った。
それは、参加者に、いかにその事業についての難しさと、役所の厳しさとをこの機会に感じ取って貰ったことでした。私は、世のため、人のために、今、何をするかを覚り、一生懸命、真摯にあたること。
その経過、結果を誰かが見て、私の存在感を認識され、少しでも動いて頂ければ良いと思った。又、その事に取組んでいる間には、地元の皆様を初め、関係者に報告するに至らなかった。平成18年4月15日に、山側幹線が全線開通し、勿論、直轄区域の東部自動車道路もその範囲であった。国交省は、山側幹線が開通することにより、その道路に国道159号線など、直轄管理の道路を全てまとめ、現在の駅前の国道を石川県へ移管する約束が出来ていた。平成19年4月1日付で、陳情当時の責任者が転任することになり、その際、私に一言

「お世話になりましたので、石川県への移管を一年延長をすることを決め、引継ぎしました。」

と云うことを告げられたのでした。

ワンチャンスを残して頂きましたので、直ぐ、市の局長にTELしました。

以来、着実に進められ、特に、国交省が事業推進箇所が重なり、手が回らなかった関係で、金沢市の駅前広場の一環として、市が事務作業に入った。

平成19年6月、国道159号森本駅前部分の拡幅事業を、実施に伴って森本駅前を一体的に整備し、広場として活用するための基本計画策定にかかる費用の予算化を金沢市がした。

その補正予算計上に合わせて、地元、又、地元に近い市議(当時の市議が退任)と、町会関係、及び商工会関係者に事前説明をされた。

続いて、7月下旬に、先の関係者を中心に、森本駅東広場整備事業の内容、スケジュール等について説明をされた。

引き続いて、8月上旬に、国交省が道路拡幅工事の用地取得に伴う境界等土地調査、補償のための建物等の調査に入ることを、所有者に依頼し、了解を得た。

そして、8月下旬、土地境界、建物等調査を開始した。

又、11月に買収予定地の国土調査に不備があり、市が地積更正を、所有者の同意を得て行う。
12月下旬、補償交渉を開始し、1月〜2月中に建物の明け渡しが実施され、国交省としては3月年度末で完全に予算(事業費)が執行出来るよう進めている。

私が最初、視察をした折、折角、整備された森本駅が幹線道路から見えない事に、強く憤りを感じ、この地域の活性化に不可欠な問題と思い、何としても実現せねばと、一人誓ったものでした。

2008/1/7 月曜日

消防出初式出発式(地域の平安のスタート事業)

消防出初式出発式(地域の平安のスタート事業)1/6(日)

金沢市の新年を迎えての消防出初式は、1月6日に決まっていた。
最近は4日以降の第一日曜日に変更された。今年はたまたま6日が日曜日となった。

例年の行事、初仕事に、ここ最近は、毎年参加していて、今年も消防出初式の出発式に早朝7時に顔を出した。

我が額地区を代表して、金沢市消防団額分団が、今年の地区の平穏、安全を願い、防災・安全のために団長以下一致団結して〝一年間頑張ります〟という出発の日と考えて、励ましの言葉で送っている。

私の娘婿も団員の一人として加わっている。早朝、寒いにも拘わらず、彼等は活き活きとしていて、頼もしく感じられた。

「心から、今年一年、この地区の安全・安心のため、よろしくお願いします。」

と託した。そして、活躍を期待し見送った。

今年の抱負

(2)今年の抱負

「世の中に役に立つ、人に喜んで貰える行動、実践をする」

今日まで、

「人と人との触れ合いを大切にする。人間関係こそ、真
の生きた財産である。」

と唱えて、三十五年間活動して参りました。

先の運勢にありましたように、「交渉時は、熱心に説けば成功。友達づき合いを大切にすれば、必ず吉事がある。」 とありましたように、

”自分の身を摩り減らし(身を粉にする)、心を籠めて、何事も根気良くあたれば、信頼関係が生れ、必ず光が見える”

と信じて、今年に挑みたいと思います。

しかし、他に随って事にあたることを忘れず、いつも、心が通うように精進します。

今年の運勢

(1)今年の運勢

今年は、十二支の子(し)、鼠(ねずみ)年である。
十二支とは、歴法の総称として、子(し)、丑(ちゅう)、寅(いん)、卯(ぼう)、辰(しん)、巳(し)、午(ご)、未(び)、申(しん)、酉(ゆう)、戌(じゅつ)、亥(がい)と、時刻、方角を表す。
そして、鼠(ね)、牛(うし)、虎(とら)、兎(う)、竜(たつ)、蛇(み)、馬(うま)、羊(ひつじ)、猿(さる)、鶏(とり)
、犬(いぬ)、猪(い)と、それを動物にあてて表す。

その第一の子(し)の鼠年にあたり、自分の運勢が気になりました。

私が、総代を務め、崇敬する白山比咩神社の1月元旦の御神籤(おみくじ)を引いた結果、『吉』でした。
その中身は次の通りです。


他に随って動くのが良い。我意を立てずに、”人に随い”、”事に随い”、”時に随って”動くのがよい。
故に、時勢の変化を知る事が第一で、”流れに従って舟を進めれば””労 少くして功多い時である”
「願事」は何事でも、人に随っていけば間違いない。新規の事は見合わせが無事。交渉事は熱心に説けば、成功。その代り、先方の口車に乗る事もあるから注意。臨機応変の融通が大切。友達付き合いを大切にすれば、必ず吉事がある。


昨年の12月に、私の側近のリーダーが、私に次の忠告をされた。「来年は鼠年であり、何事も目立たず、自粛し、充電の年として先生は悟って下さい。」
ということでした。又、私の友人夫妻は、細木数子の占いから、”昨年より三年間は、じっとして動かない事である”と云われました。正に、私の事を、真に思われての皆様の意と、御神籤の中身が一致していて、吃驚、そこで、今年は心新たにして、流れに随って生き抜く決意です。

宜しくお願い申上げます。

2008/1/3 木曜日

●【謹賀新年】

謹賀新年

明けまして、お目出とうございます。

昨年は、大変お世話になり、温かい御交誼を賜わり、誠に有難うございました。
今年も、何卒よろしくお願い申上げます。

本年も【ひろと日記】を随時、UPしていきますので、引き続いて宜しくお願い致します。

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