(1)県公社の負債への救済
1980年代、正にバブルの真っ最中、行政機関や経済界も、金融機関や不動産業界も社会全体が、”行け行け”ムードで、恐いもの知らず。
その波及効果は、人の心をも蝕み、完全に正気を失った状況でした。
そして行政は、民活導入や第3セクター設立による開発行為を・・・・・。金融機関は、ゴルフ場等の企画や実現に積極的に参画し、資金提供については勿論、経営にも参加した。
不動産業者や建設業者は、土地持ち(地主)に提案し、経済行為としてのマンションやアパートなどの建設促進を図り、さらに、都市部郊外地に於いては、都市計画推進の名の下に、調整区域から市街地区域へ用地変更をする区画整理をし、その事業に伴っての社会資本が投下され、”まちづくり”が盛んに行われた。
本県では、県の外郭機関で不動産部として位置付けされている、県土地開発公社(当時)では、企業誘致を担っての埋立造成事業を、大浜地区で実施されていた。
それまでの負債総額(借入)で、70数億に達し、年間金利で4~5億とも云われ、その当時、小学校一校の新設分に値するものと言われていた。
そこで、危機を悟った県ナンバー2が、知人を呼び(後に1名加わる)、その使途方法についても託した。
その答えとして提案したものは、ゴルフ場計画を初めとするスポーツ、レジャー基地として、工業用地からの用途変更による開発行為であった。
(2)スポーツ、レジャー基地への用途変更
それは、2名のうち、1名が金沢市の経済界を中心として参画するゴルフ場を、1名は自ら乗馬クラブの開設をし、残地5,000坪(西側)については、将来ヨットハーバーなどの新たなレジャー基地を求めての計画案でした。
先行きが見えない状況の中での賢明な判断として、当時は称えられ、負債総額が全額抹消されなかったとしても、50数億が減額された。
そして、ゴルフ場は、金沢市内の経済界のトップの下に、依頼を受けた1名は資金調達をし、開設にいたり、一方乗馬クラブは他方の1名が、既に経営していたスポーツクラブの一環として、会員制で開業することとなった。
当時の県財政の健全化に大きな役割を果たしたことは事実であります。
(3)経済界のステータス
当時の環境は、総てがムードに酔う傾向にあったと思われます。
しかし、市内の経済人は、この計画に理解を示し、、寧ろ、当然の如く参画することに誇りを持ち、”近郊のゴルフ場、経済界の持つゴルフ場”、ややグレードの高いものとして、それぞれがステータスを覚えていた。
その施設の設備や整備に力を入れ、もっとグレードを上げようとした動き、アップダウンのない平地のコースとして、長く(息長く)プレーが続けられ、プレー時間がきちんとしていて予定が立てられると好評を呼んでいた。
(4)バブル崩壊と金融業界の変身
余りにも、金銭感覚の無い、然もペーパーによる取引きが蔓延った時代は、長く続くわけが無かった。
バブル崩壊であった。
”ある店に於いて、7万円の売値の洋服が売れ残っていたために、拾を加え、17万円にしたら、翌日直ぐ売れた”
と云う時代が終わった。
行政は行政改革を、経済機関は経済改革を余儀なくされ、法律の改正によって、金融業界では自己資本率の重視などによっての統廃合、金融庁の設置で管理強化による制約など・・・。
不動産業界では土地価格調整など、大きな制約を受け、売り買いの業務より管理業務へ移行せざるを得なくなり、変身をすることとなった。
(5)取扱った会員権に対しての勘違い
会員権の本質は、”10年間の利用特権”であった筈だった。
それこそバブルの典型とも云われ、2百万円のものが、3千万円に、5百万円のものが8千万円までに跳ね上がったことに、不信を抱かなかった当時を反省せざるを得ない。
経営者は、会員権として収集した預かり金の計画性が甘かったようだ。
一つの例としてのゴルフ場18ホールの概要建設計画は、1ホール3億円で、18ホールで54億円、クラブハウスなどで20億円、6億円は備品その他で、残りの20億を、基金として積む。
従って、縁故はともあれ、850万円の会員権を1,200会員分として捌いて、百億円を集めるといった筋書きで、基金の金利(利息)の1億数千万円をコース維持管理費に当てるのが、一般的でした。
決算での利益見込みを、基金へ戻すことを中心に、会員権を10数年後に何名分位の返却があるかを推定しての行為が不足していたこと。
又、金利が下がったり、ゴルフ場の乱立と、利用客の減少、プレー代の安価を求めることに対応してなど、大きく状況が変わった。
(6)「勝ち組」「負け組」による格差
昨今、行政は地方分権などの下で、行財政改革の見通しからの市町村合併の推進、金融業界では、銀行が倒産するという事態が生じ、合併促進とより健全化を目指し、社会の仕組みの変貌、構造改革が勢いよく進んだ。
時代の流れを敏感に捉えられない業界は、取り残された。
建設業、不動産業、それに伴う企業は相次いで廃業や倒産が増え、運輸業者や大型サービス業、レジャー業、温泉旅館などは「負け組」となった。
一方、製造業、特に輸出組の鉄工業、自動車産業、IT産業などは「勝ち組」となり、極めて大きな格差となっている。
(7)浚渫土砂仮置場と中断したレジャー基地
大浜地区のゴルフ場整備の南側(金沢港)の約13ヘクタールは、長い間大浜などの浚渫土砂の仮置場としてのみ活用されていた。
この土砂は砂系で精錬したものに対する人気が高く、主要盛土材料として利用されていた。
同じくゴルフ場の西北側の5,000坪と突堤を含めた、レジャー基地のヨットハーバー等の計画が、いつの間にか取り下げられていた。
時代の流れとともに(工業用地から用途変更したスポーツレジャー基地)周辺が工業用地として活用されるようになった。
大浜地区の約13ヘクタールの大半に「コマツ」が進出した。
更にゴルフ場の東側の豊かな防風林地域が、緑地と保安林等を北側にまとめて、砂地の殆どを金沢市が造成して、同じく「コマツ」を誘致するための工場用地とした。
(8)練習場予定地として購入した筈だったが・・・追及の声。
ゴルフ場と乗馬クラブの東側の用地を追加買収をして、ゴルフ場練習場の予定地として考えていた。ところが保安林等の強力な制約を受け、練習場として建設するに至らなかった。
そして、バブル崩壊と経営悪化に伴って、県へ買戻しを願ったとされ、その事で、7年前に大きくクローズアップされ、騒がれた。
買収単価が高いと指摘した議員(現:国会議員)は「ゴルフ場の社長は知事の後援会長をしている。この際、不信感を招いたことで、辞めて貰ったらどうですか」など”土地買収疑惑”として取上げて追及した。
私は、この折に2つの件についてフォローをした。
一つ目のゴルフ場社長は、株主や取締役会で選任され、後援会長も後援会で、後援者か幹部会で選出されるもので、知事が決めることは越権行為である。
二つ目の土地単価については、坪当たり数拾万のところは、バブル崩壊とともに値下がりしたことは承知の通りだが、当時から坪当たり3万円のところは、値下がりすることが無く、現況を踏まえて正当な単価であるとフォローした。
(9)「コマツ」進出による一転した環境
金沢港石油基地へ通過する車輌、大浜地区での盛土材料の運搬車、釣人、ゴルフ場の関係者、乗馬クラブの関係者だけの往来であり、静かな海岸地域の一郭で、隣りの内灘浜辺のスポーツ関係の賑わいが、シーズン中に見られるという光景でした。
「コマツ」進出が、この地区の景観を大きく変え、今日までの歴史を否定するかのような環境変化が生じた。
(10)営業妨害になると訴訟を
20年の歴史は地域を変え、人の心も変えて終った。
長い間、聖地として乗馬クラブを営業して来た関係者は“能登有料道路を大浜方面へ延伸させることにより、馬が騒音で暴れ、怪我人が出る恐れがある等”で建設中止(金沢、能登連絡道路)の訴訟を昨年12月に起こした。
二車線建設が直前に関るには、二、三年後、高架四車線(6~7m盛土)は、数年後(何年先か不明)である道路計画を平成19年8月4日に起工式をし、関係社長等は真剣に調査などをした。
私に相談があったが、社長の確認したかったことはゴルフ場から道路建設用地として買戻しをした用地が、リンクス側で110m、関係者側で125mあったことだった。
その用地は、金沢市が「コマツ」を誘致するための造成地の中で制約される緑地、保安林を北側にまとめたことで、関係者側の前で45mの道路用地しか残っていないということの確認であった。
私は“道路の必要性を訴え、馬に影響のない道路に構造変更をする”ことにより解決することを強く望んだ。
しかし、二車線が二、三年後、四車線高架が先の話で見通しが立たない現況では、このまま認めれば“将来済し崩しになり営業が出来なくなる”と思案した結果、関係者は訴訟を決心したようだ。
(11)役員交替と民事再生法
①コマツ進出が却って害に
(A) 道路が開通することにより
ゴルフ場出入口の門の遺り直し、信号による安全性、駐車場の確保など、更に、1番ホール、10番ホールのスタート地点(ティーグラウンド)の騒音防止の配慮が必要となる。
(B) 金沢市の「コマツ」誘致の造成地
造成工事の騒音と頻繁なダンプや重機などで、プレー者にとっては、相当の迷惑であった。又、造成地が道路により分断されており、橋が架せられたため正面より、ゴルフ場の全景(ロケーション)が見えなくなり、イメージダウンとなった。
(C) 石川県大浜地区への「コマツ」誘致
「コマツ」誘致により噂が立ち“リンクスをコマツに売った”と評判になったことと、工事中の障害と併せ、著しく平日の営業に影響した。
②役員交替と経営方針
諸般の事情により、代表権の2名が替わることとなった。
今日までは、ナンバーワンの名の下、信頼と担保を預かる中で、ナンバー2が経営をしていたようであった。替わってのナンバーワンになる方は、日頃からの愛好とゴルフ場に対する心についてはプレーをする利用者の中では群を抜いていたこと等から関係者が強力に推し、説得されたものだった。勿論、経営方針もシビアになった。
③経営断念と民事再生計画
メインバンク等との相談の上、T情報社の平成19年10月20日、翌年1月20日発行の記事に載っている数字が概ね示すように、これ以上の経営を断念し、即民事再生法に基づいて計画を立てることになった。
④様々な動向
そして、大浜リゾート開発㈱が民事再生申請をすることとなり進める中で、ゴルフ場買収グループなどの買収申し入れや「民事再生案に反対する会」からのハガキによる通知、「ゴルフ倶楽部金沢リンクスを守る会」の会社更生法の摘要申請等の、対抗案がある。
買収計画案は「ゴルフ倶楽部金沢リンクスを守る会」と称し、対抗案を出して来た。
ゴルフ場経営の実績のあるグループ等の紹介や推薦もあり選択の余地があるように思えた。
しかし、買収計画から対抗案に変えた不自然さ、「民事再生案に反対する会」「ゴルフ倶楽部金沢リンクスを守る会」などの組織、本やハガキによるゴルフ場会社やクラブの関係者宛先に送付されたこと等に対しては、不信感を抱き、疑念を感じざるを得ません。
強いて申し上げるならば、出所が一つに思えてなりません。啓発や啓蒙について20年の役割と歴史的評価が見当たらず、現時点での数字を並べての極論することは、早々であると考えられます。
(12)今こそ威厳をもって、一致協力を!
中傷や、それを普及することは容易いことだと思いますが、世の移り変わりに対し冷静な判断、責任ある態度が今こそ必要です。経済人として、参画した折の所信に返り、この20年間のそれぞれの思い、愛着をこれからどうすれば最もベターな方策であるのか・・・。
“誰かの所為にするのでは無く”“誰かに任せるだけでは無く”自分たちで、金沢の経済人としての誇りを持って、威厳を持って、対策、解決することに・・・。
じっくりとゴルフ場側の考え方を聞き、その方向が出れば、一致協力をして「金沢市都市近郊の愛するゴルフ場」として再建するために全力を上げ、邁進して貰いたいものです。
(13)リンクス社長の見解
「民事で争っても最終的にはゴルフ場側がまけることが、最高裁判決で分かっている」
「会員権ビジネスのブローカーの餌食になり、他の会員に迷惑をかけるわけにはいかない」
「幸い、預託金債務が大半で、金融債務がない。減価償却を含めなければ、黒字を確保している。」
「預託金のカットと返還期間の延長により再建が可能だ。会員には迷惑をかけるが、協力を求めていきたい」
「平日会員まで募って九十五億円を集めたが、五十五億円で県から土地を購入し、クラブハウスを建て、コースを造成すると資金の大半はなくなった。会員権相場は当初の予想に反して低迷したまま。民事再生はバブルの後始末だ」
と、平成19年10月11日の某紙の取材で語っている。