2008/5/28 水曜日

県猟友会創立40周年記念行事などに臨み

【通常総会】

 去る平成20年5月16日(金)に、市内ホテルで40周年記念行事が執り行われた。
記念行事に先立ち、通常総会が、代議員と被表彰者の出席,、並びに、来賓として、関係官庁から臨席の上、開催された。

 今年の総会には、昨年に引き続き、参加した私は、初めて正式に、顧問としての出席であることから、些か緊張した。
平成19年度の事業及び、決算報告、平成20年度の事業計画、予算案について慎重に審議され、何れも原案通り、可決決定された。

 特にクローズアップされた主な事業の報告があった。

1)一つ目は昨年10月に、山岳地帯の行方不明などの捜索について、猟友会が地域に詳しいことから、情報提供と捜索隊に加わり、協力する旨の協定書を、全国で初めて、県警本部と猟友会によって執り交わされた。

2)二つ目は、昨年末から今年に掛けて、県内外での銃砲による事件、事故等、事案が相次ぎ、国民に大きな不安を与えて仕舞った。許可銃を受ける関係5団体が相集い、平成20年3月に、「県銃砲関係連絡協議会」を発足し、初代会長に、当会会長が就任した。
 尚、4月に県警本部に於いて、関係5団体の代表が安全宣言をし、その姿勢を示し乍ら、堅く誓った。それぞれ、保持者は、心を新たに、一日も早い信頼回復を目指して、行動を起こしたものだ。 

 又、通常総会終了間際には、昨年に続いて代議員の一人から発言があった。

  内容は、後退する後ろ向きなもので、出席者全体の空気から察すると、話の内容については、歓迎していないように見えた。中身について、私には能く理解出来ていませんが、あの場での議長の終結裁定に対し、どうも理解(了承)しているとは思えなかった。

 この後の記念式での挨拶の中で、私は触れさせて頂いた。

「内外諸般の事情等で、猟友会に纏わる昨今の状況から察するには、大変、厳しいものが山積みされており、今こそ、猟友会員は”心を一つ”にして、この難局を乗り越えなければならない時にある。もし、終着するために、私の出番が必要であれば、いつでも中へ入り、早急に解決すべきと考える・・・。」

 又、総会終了後には、私にニコニコ笑って、近づいて来られた被表彰者がいた。
民謡の新年会で出会い、「タクシーベイについて、金沢市は不整備であり、ドライバーが前方から、目で捉えて乗車するように整備すべきである。」と私に注文を付けた方であった。

更に、当日には、猟犬石川支部の県で相談を受けたので、精査して対応するよう秘書に指示をした。

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              通常総会で挨拶

【40周年記念式典】  

 創立40周年である筈だが、もう既に組織化されて、43年目に入っているにも拘らず、今年、あえて執り行うことには、何か訳があるに違いないと察知した。 

  しかし、40周年の記念であることから、前日、副知事に、有害(防除)編制隊(公的活動)についての相談に伺った折、臨席をお願いした。秘書課と環境部で調整して、OKが出た。 

 当日は、式辞で会長が、「感謝の心と、組織の強調」を訴え、続いて、知事、大日本猟友会長、県猟友会長と節目の表彰式が挙行され、祝辞は、副知事、県警生活安全部長、大日本猟友会長、県猟友会顧問の私が順に申し上げ、40分くらいで式典を納めた。  

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    要来賓、役員席と司会者        「知事表彰」副知事より会長に

【記念祝賀会】 

 17時45分から記念祝賀会が開宴された。
冒頭、会長が「正義の挨拶」を短く申し、乾杯は環境部長の音頭で威勢良くし、祝宴に入った。 私は、全テーブルを回り、挨拶をして、次の会場へと途中退席をした。
 一つの節目を大切にして、次へのステップを踏むことが、組織の充実発展に繋がることを、関係者は、今一度、悟ったに違いないと思った。 

 頑張ろう、猟友たちよ!!

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  「乾杯の発声」環境部長の発声     「乾杯!!」主要来賓等 会場

2008/5/27 火曜日

能登の主要都市を訪れて

〔市役所〕

 午前11時に市長と合う約束を交わした。
 久し振りに、”合いたい人に合って”、”観たい所を観よう”という思いで、日程を調整したもので、その切っ掛けは、ある企業の協力会の懇親会に臨席した折、社長から、「新規企業の誘致特権について、必ずしも順調でないので、一度見に来て欲しい・・・。」という、要請を受けたことからだ。

 予定時間20分前に市役所へ着き、早速、担当部局の説明を受けた。”一応、整理され、県の対応待ち”のようだった。

時間になり、市長とは、”公正な入札制度、医療対策、企業誘致など・・・。”について、30~40分懇談し、明日、諸般の状況を踏まえて、電話をすることを約束して、昼食懇談会の場所へ移動した。

〔懇談会〕

 この地域には、人材が豊富であり、各分野での県のリーダー的存在の方が多い。
新規企業の社長と、経済団体、福祉団体、狩猟団体の代表と、警備業の重鎮の女性企業家の5人と、約2時間、昼食を執り乍ら、情報交換をし、歓談した。

国政、地方レベルの政治、経済の話に花が咲き、話題性も多く、和気藹々の内、意義のある成果を得た。

 この、昼食懇談会をした場所は、私の最も信頼する方が、理事長を就とめるスポーツ関係のクラブであり、当日もお世話になった。
各自、個性豊かな方々で、人柄も良く、再会を楽しみに、その場を散会した。

〔公共の出先機関〕

 生活環境の安全、安心の機関と、社会資本の整備をする機関を訪問した。
何れも、多用な中を割いて、幹部が揃って出迎えと歓迎をして頂いた。

 実際、生活する地域より離れたところから、管外を視ることが大切であるということを確認した。
限られた時間でしたが、初めての方や、懐かしい方などと情報交換が出来、得ることが多かった。

〔新規誘致企業〕

 以前に、県立高校の統廃合に絡んで、移転や交換及び、進出する新たな業種について、当企業のオーナーから相談を受けたことがあった。その折、”誘致企業が倒産し、行政側が困っている旨、その対策を早急にしなければ”、という内容の話を耳にしていた。

 それから暫く、情報が中断していた後の、今回の訪問だった。

 その変わりよう・・・。資本投資、経営の充実化など、徒、吃驚した。

社長の意気込み、抱負、この部門での日本一であるという自信、若い工場長の真剣で、取組む意欲とその姿勢に、敬意を表し、大きな期待を持つことが出来ました。

 地域の経済団体の長と、工場内を社長と工場長に案内して頂き、詳細な説明を受けた。
今後は更に、尽力することを約束をして、次の場所へ移動した。

〔総合福祉施設〕

 私の友人である、元行政機関で舵取りをされたドクターが、運営(経営)する総合福祉施設である。
女史(娘)が施設長を就とめ、私の女性団体の一角を担っている。

久し振りの訪問でしたが、ここ数年で福祉事業が変化し、法律の改正や補助(支援)率の低下、社会の位置付け、国、県の財政事情によって、大きく変わったことを、女史はしっかりと捉えていて、それが確認出来、嬉しかった。

 昨今、ある社団の事業に引き込まれ、多忙な中を顔を出したことによって、段々とのめり込んだようだ。
しかし今は、却って、誘われたことを喜び、この社団に対し評価しているようで、この団体の「職場の教養」と云う本の中から、言葉を選び、職場の朝礼等で訓示していることが、その証であると思う。

 様々なお話(市長が関与する誘致企業について等)を聞き乍ら、福祉に対する姿勢が本物になっていることに対し、本当、嬉しい限りであり、又、”結婚願望も充分ある”という確かな反応を見て、彼女が通夜の準備に入ることから、私は後ろ髪を引かれて、次の会場へ移動した。

〔夕食懇談会〕

 市内の「寿司店」で、半日間お付き合いで同行してくれた、経済団体の長と、運輸、観光業界のトップの市議と、3時間半ゆっくり会食をし乍ら懇談した。

国政、県政、市政と幅広く、経済問題を含めて、各自が好きなように発言して、時間が経つことを忘れて、没頭した。

 私にとっては、永い間、交誼を頂いている方と、昨今、中身のあるお付き合いを頂いている方であるため、本当に”ムードのある”そして、”中身のある情報交換”が出来たと顧み、迚も、”素晴らしい一時”であった。

〔まとめ〕

 一つの地域に、11時間も居た事が異常である、考えて見れば、それ程、空気が良く、「居心地」が良かったということです。
 翌日、上京中の市長に電話をした。

新規事業(誘致企業)に対する、「県側の考え方」の報告等、”昨日の接した友人の声””当面の取組み方”の確認をし、金沢での再会を楽しみに、受話器を置いた。

2008/5/22 木曜日

ミニット

1)5/18 地元町内バーベキューに参加して

(1)諸江校下の町会

 昨年に続いて2度目の参加で、すっかり馴染み、居心地がいい環境だった。
近隣の交流する町会の顔馴染みの役員も加わり、昨今、例のない長時間(1時間以上)お世話になり、楽しませて貰った。
 その間、二つの話題になった。
一つは、10年前から学童保育でご縁を頂いた女史(子供連れ)を中心に、学童保育の次へのステップについて宿題を貰い、二つ目は、白山神社の名称の「ルーツ」について調査することを、二人の神社係の方と、興味津々、花が咲き、約束をしたことだ。

 僅かなコミュニティー施設整備のお手伝いをしたことで、こんなに感謝され、善い雰囲気で歓迎して頂くことに、徒、有難く、嬉しい限りでした。

(2)額地区の町会

 毎年、お声を掛けて頂ける窓口の方に感謝したい。
今年の町会長は、新進気鋭の某新聞社の局長で、私の出身の旧河内村(現白山市)とご縁のある方だった。却却の二枚目であり、対応もスマートな方で、そつがなかった。

 お顔触れを眺めると、直ぐに気が付いたのが、不老長寿と思っていた方の姿がなかったことだ。存在感があり、何処にでも参加していた方の不在に対し、侘しさが込み上げて来た。又、今回、企画会社を経営する長老夫婦や、美川出身の着物の似合う夫婦など、常連のお顔がなかったことにも、寂しさを感じた。

 今年の百万石行列の『玉姫』役に決定している、町内の女の子の紹介があり、更に、町内にお店を構える方が、心を籠めて、「肉」を提供し、町会の各自が、それぞれの立場で協力し合い、会場一杯、本当に、楽しい中で勧められた。

 途中、青壮年会の4~5人が挨拶に来られ、「白山サンアールズに勝たせて貰います。そして、今年の『額地区ソフトボール大会』の”優勝を頂きます”」という挑戦状を受けた。

 時間にして1時間程居たようだ。

 兎に角、二箇所、顔を出して特に共通したことは、昨年よりも参加者が多勢で、嘗てなかった程、「天気が良かった」ことと、何とも「居心地がいい」ということでした。


2)出身地「市議会議長就任祝賀会」に出席して 

 
合併して4年目に入り、”議長は4代目”となる。その都度、「議長就任祝賀会」に、お招きを頂いた。又、就任議長とはそれぞれの立場で関係があり、重みがあった。 4代目とは格別のものがある。  最初の出会いは、彼が旧松任市の副議長の時、議長代理で某学園の慶事に臨席し、祝辞を代読した後に私が声を掛け、「貴方は、却却、貫禄があり、恰幅も良い」と申した折、恥ずかしい素振りで対応された。
 次に、前々回、私の同僚議員が再挑戦を試みる際の、最終会合の席でのことである”バラバラになった組織、人間関係をまとめるべき舵取り役の『頭』を決めようと、長時間協議したが、ワンチャンスである筈の体制づくりが決められず、最終段階で、とうとう、私は一人一人に誰が相応しいか聞き始めた。全員(20人位)一致して、、彼が能いと答えた。” 

そこで、彼に強力に依頼をしたが、”う~む・・・” 暫く返事が貰えない・・・。

「これがまとまらないと、残念乍ら選挙に出ることは無理だ。」と私が云うと、各自から更に、”是非承諾して欲しい”と懇願したが、時間が更に経つだけであった。

 長い長い時間の経過に伴って、やっと彼は観念し、承諾をしてくれた。
そして、再び、彼の舵取りで戦うことが出来、浪人から解放された同僚議員は、連続当選し、その結果、県議会で今回、目出たく、要職に就いた。

 さて、彼とのお付き合いは、短期間であったが、中身のある厚誼であったことで4代目について語ると、『冷静沈着』、『人柄も能く』、『貫禄、恰幅が良い』。本当にその印象は、「慎重で、素晴らしい男」であると思う。


3)「第39回日展」金沢展を鑑賞して 

 金沢展の最終日に時間を割いて、21世紀美術館に足を運んだ。 
私の知人、友人たちが出品していることもあり、しっかりと観なければならないという使命感があった。 人の多さと全国各地より、各界から出品した作品の多さに驚き、陶器、木工、日本画、洋画、彫刻、書など種々、久し振りに目の保養が出来た。  幾つか分かれた会場は、正に、迷路であり、夫婦同伴で来られた方が、互いに見失い、困惑している姿を何人か目にした。

 尚、途中の展示会場の出入りの際、この界(会)の「ドン」である某新聞社社長の、県美術協会会長と擦れ違い、挨拶を交わした。”ヤーッ、偶には・・・。”と私が云うと、「ドン」は、”能いことだよ・・・。”とにこやかに答えてくれた。

 ひょっとしたら、私の本日の”大きな収穫”は「鑑賞した逸品」よりも、この方の『笑顔』であったのかも知れない。


4)縁戚宅を訪問して

 ”近所の医者たちがうちへ来られ、焼肉パーティーをやるから、顔を出して・・・。”と縁戚の市議より声が掛かった。予定より少し遅れ、訪問した折、既に、酒が勧み、大分、気分良く酔いが回っていた。 二人の医師は、3~5年前に、この地域で開業し、何れも地域の人に成り切っていた。もう一人の方は、この家の新年会等で、お会いした方で、趣味の世界を超えた、あるゲームのお世話をされていて、3年後のネンリンピックに、正式種目として取上げて貰えるように、頑張っているということでした。

 私は、「主治医として、往診をして頂ける内科医を探している。」と云うと、一人の方が、「私は内科医で、往診しています。」と答えた。直ぐに、「ここから10分位で私宅まで来られるので、やって頂けますか?」と聞くと、「OKです。」と返事があり、商談が成立した。近い内に、行き来出来るよう道筋を付けたいと思う。 

 又、翌日、もう一人の方の念願である、ネンリンピックの件については、県関係者と早速協議した。”もう暫く待って頂きたい・・・。”と意味ありげの説明に、少し期待感を持って、念を押した。
”ご縁や出会いは、今まで以上に、大切にしなければならない。”と、そっと、呟いた。

2008/5/14 水曜日

メモワール~3部~

5)”ファミリー揃って”「伊勢神宮正式参拝」

 今年のGWに、ファミリーで一泊二日、「伊勢神宮正式参拝」をした。
早朝6時、金沢市の自宅を出発。翌日、夜9時頃に帰るという強行スケジュールで、3才の幼児~82歳の老婆まで、幅広い総勢20名の参加の下で勧め、移動は、出発から帰るまで、オール貸切小型バスとした。

 しかし、伊勢神宮を主とした内容では、幼児4名、子ども(小学生)3名にとっては、窮屈で決して満足しないと考え、翌日の「鳥羽水族館」を予定に入れ、特にゆっくり時間を取る事にした。
その通り、「イルカ」、「セイウチ」、「ペンギン」等の3つの全ショーを、子ども達と共に観覧し、充分、満喫することが出来た。

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 さて、私にとって観光としては、過去数回、参拝をしていたが、今回の正式参拝には違った意味で”大きな意義”があり、その手順を踏んだ。

私が、地元の白山比咩神社の崇敬者総代として、30年以上ご奉仕をしていること、又、今年当社の2100年大祭(10月7日~13日)に積極的に従事していること等から、この機会に、宮司を通じ、石川県神社庁を経由して、”私のファミリーの正式参拝を致したい。”と申し入れをしたものです。

 尚、正式名称の「神宮」は宇治の五十鈴川(イスズガワ)の川上にある、皇大神宮(内宮)と、山田原(ヤマダノハラ)にある、豊受大神宮(外宮)の両大神宮を中心とした、14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、42社の所管社があり、これ等125の宮社の総称という。

”日本人の心のふるさと”と云われ、「お伊勢さん」「大神宮様」とも呼ばれ、親しまれている。

 そこで、全国数々ある神社の中で、最も尊い、厳かな伊勢神宮を統括することにした。
最初に、豊受大神宮(外宮)、次いで皇大神宮(内宮)を翌日に、皇大神宮別宮(伊雜宮)と云う順に、3ヶ所参拝した。

(1)豊受大神宮(外宮)”トヨウケダイジングウ(ゲクウ)”

豊受大神宮は、天照大神(アマテラスオオミカミ)の食事を司る神を祀り、内宮創建から500年後に、山田原に迎えられ、衣食住を初め、凡ゆる産業の守り神である。
当日、駐車場より、表参道へ進み、勾玉池(マガタマイケ)を左手に眺め乍ら、表参道火除橋(ヒヨケバシ)を進路し、手水舎(テミズシャ)で、心身ともに清め、一の鳥居、二の鳥居、神楽殿から御生殿(ゴショウデン)へ進み参拝して、新御敷地(シンミシキチ)前で、集合写真を撮った。
 帰り掛けに、多賀宮(タカノミヤ)〔豊受大神の荒御魂(アラミタマ)を祀る別宮(べつぐう)で、山の頂にあるため古くから高宮(タカノミヤ)とも呼ばれていた。〕と、土宮(ツチノミヤ)〔大土乃御祖神(オオツチノオヤノカミ)を祀る別宮で、古くから山田原の鎮守の神として祀られ、外宮創建後は、宮域(キュウイキ)の地主の神として、祀られている。〕と、風宮(カゼノミヤ)〔風の神を祀る別宮で、鎌倉時代の元寇(ゲンコウ)の時、神風を吹かせて日本を守った神として、知られる。〕の三別宮へ参拝し、バスへ戻った。
 時折の小雨の降る天候で、それが却って”功を奏し”新緑が鮮やかに目に映り、眩しかった。

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(2)皇大神宮(内宮)”コウタイジングウ(ナイクウ)”
 
 
皇大神宮(内宮)は、皇室のご祖神の天照大神を祀る、我が国で最も尊いお宮であり、五十鈴川の川上の千古の森に囲まれて、2,000年の時を超えて、古代の佇(タタズ)まいを今日に伝えている。
 表玄関としての進路で、五十鈴川に架けられた木造の橋、「宇治橋」<L=101.8m.>を渡り、一の鳥居、二の鳥居、そして、神楽殿に着いた。

そこで、白山比咩神社等による紹介で、神宮司庁の事務吏員の案内を頂いた。
荒祭宮(アラマツリミヤ)〔天照大御神の荒御魂を祀る別宮で、荒御魂とは神の特別な働きをする状態、又は、神が現れる状態という。〕、籾だね石、神御敷地(シンミシキチ)〔平成25年に新しい社殿が建てられる敷地は、東西2ヶ所あり、20年に一度、式年遷宮(しきねんせんぐう)で立て替えられる。〕と進められ、御正宮(ゴショウクウ)〔御正宮は、四重の垣根に囲まれ、唯一の神明造(シンメイツクリ)の古代の様式を伝えていて、皇族、大臣など、中に入って参拝することが出来るが、一般客は、垣根の外で参拝する。〕に着いた。

 私たち一行は、垣根の一歩中へ入ることが出来たが、その先は最低限、上着にネクタイが必要であり、私だけが、予め準備していたことから、神官(シンカン)の案内で奥へ進み、一行及び、一般客の観える奥の位置で、代表参拝(二拝ニ拍手一拝)をした。
続いて、神楽殿(カグラデン)で受付をして、祈祷をすることにした。
一行全員中へ入り、応接室で一服(時間調整)をして、ご祈祷の神殿(神前)へ進んだ。内容は、今まで経験が無い、未知のものであり、神楽の種類の多さ、登場人物の多さ、祭司の祈祷の仕方など、色々で驚いた。

 終了後には風日祈宮橋(カザヒノミノミヤバシ)を渡って、風の神を祀る別宮の風日祈宮(カザヒノミノミヤ)の参拝をし、集合写真を案内人の吏員に撮って貰った。
 そして、様々なところの説明を受け、戻りの宇治橋まで丁重に案内して頂いた。心を新たに、感動の気持ち一杯にして、神宮を跡にした。

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 (3)皇大神宮別宮(伊雜宮”イザワノミヤ”)

 伊雜宮は、一般には「イゾウグウ」と呼ばれ、古くから「天照大神の遥宮”トオノミヤ”」と称せられ、御祭神(ゴサイジン)は天照坐皇大御神御魂(アマテラシマススメオオミカミノミタマ)です。
特殊祭典である、御田植式(オタウエシキ)は、日本三大田植祭の一つで、「磯部の御新田”オミタ”」として、国の重要無形民族文化財に指定されている。

崇敬者は地元の漁師や海女たちで、信仰も厚く、更に、全国各地の一般民多数に及んでいる。
鳥羽水族館へ行く前、朝一番の時間帯に、ファミリー一行は、静かで厳かな新緑一杯の別宮を参拝した。

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《総評》

 伊勢神宮としたことは、お一日参りの車中で、長男の嫁の発案で、二男の嫁が同調し、私が旅行社に指示をしたことで、、一層、実現化が近づいたものです。
 
 目的は、”大人たちは神秘な世界で心身を清め、心を新たに、皆仲良くする”こと、子どもたちは”家族、親戚が一同にして楽しく、魚の世界を観て、ショーなどを通じ、GWの思い出の一時をつくる”ことでした。

 特に”生涯で二度と行けない所へ連れて言って貰った””有り難い所、厳かなものを見せて頂いた”と、義母や嫁の母たちから感謝感謝の言葉を受け、本当に実行してよかったと思い乍ら、再度、「大きな絆の生きた財産を得た」ようで、何よりも嬉しかった。

 そして、これからは「心の眼で見るルーツが蘇ってくることを信じ」、物事には今まで以上に、真摯に取組み、旅の成果を称え、締め括った。

2008/5/12 月曜日

メモワール~2部~

3)総合スポーツセンター落成

 平成20年4月12日。
いしかわ総合スポーツセンターが落成し、記念式典が執り行われた。3年の歳月と、総工事費、数百億円を掛け、スポーツの拠点地として立派に完成したもので、計画時と完成の暁時に、担当委員会に所属していることから、尚、一層、感無量の思いをした。

  施設概要は、敷地面積、約52,000㎡、RC造、地下1F-地上3Fの延床面積、約24,000㎡で、バスケットボールコート4面、観客6,000席のメインアリーナと、バスケットボールコート2面、観客982席のサブアリーナ。及び、多目的室のマルチパーパスルーム、科学トレーニングルーム、25mプール、会議室(240席)などです。

 この施設が大いに活用され、県下のスポーツの拠点地として、スポーツ全体の底上げに繋がることを期待致しております。

 徒、その陰には旧跡地中心部に、総合的体育施設の不足が生じ、旧県庁跡地周辺にとって、また一つ施設が無くなることで、中心部の空洞化に拍車を掛ける結果になるということを、忘れては為らない。

 さて、スポーツ施設を充実する今後の課題として、

①金沢市として、磯部地内に屋内50m公式プール

②白山市の金沢市寄りの海側幹線付近で、観客席30,000人以上の県立野球場

③現、県立野球場の跡地に、屋内公式テニスコート

の3施設を整備することです。



4)”花見”と”竹の子”の旬

 毎年、4月に入ると、「桜の花見会」が町会、老人会や各種団体、職場などで行われ、各自が参加する。
 今年も地元の老人会の花見会にお招きを頂き、顔を出した。
私の持山(額谷地区)に”桜の木を植えろ・・・!”という勝手な話でした。

 又、話を変えての話題は、「竹の子」の事だった。
毎年4月末~5月の連休明けに掛けて、旬を迎える「竹の子」であり、その内容の真意は随分、広い範囲で取れるが、”何所の竹の子が一番旨いか”という事でした。

 その意は、旧鶴来町月橋~森本までの産で、地元の「額」のものが”最も美味しい”と云いたかったようです。
私に振られ、答えを求められた。

「竹の子に種類があり、好みも有る。又、土質によって違うことと、煮方やだし汁の取り方など、味付けによってもそれぞれである。」

「何所のものがとか、誰のものが美味しいというよりも、寧ろ、素直に、”下さる方の気持ちと、受け取った方の心が大切である。”、 ”私は、その「心」によって「美味しさ」、「旨さ」が現れて来るものと信ずる。”」

と応え、周囲の称賛を受けた
 

2008/5/8 木曜日

メモワール

1)「友好の絆」中国視察

 3月末、3泊4日で中国の無錫、上海を視察した。(「石川県中国進出企業 無錫、上海経済視察団」、「石川県中国進出企業 無錫、上海経済視察団 ~写真集~」 で掲載)

  本県より進出している企業を尋ねてのもので、予想以上の充実した内容で、大きな成果を得、その際、”帰国したら反省会を・・・。”と、その場所を「熊じろう」と決めた。
 僅か、出入り4日間の旅でしたが、6名の参加者(同志)は、本当に気が合い、羽咋と白山市と金沢市の経済人に、金沢市議2名を加え、私と6名にとっては大袈裟に云うと、『戦友』になったようでした。

 帰国して20日間に経たない内、反省会を予定の箇所で開催し、珍しい熊肉やイノシシのシャブシャブなど、山菜を加え、旧友を温めるかのように、話が弾み、満腹感を味わい乍ら、楽しい一時を過ごした。

 特に、私の将来像(進むべき道)に興味を示され、強い口調で応えを求められ、一瞬、はっきりしないで態度を濁すと、尚、真意を伺って質された。

私の応えは、「今、置かされている立場、環境を充分、鑑み乍ら、これからは今まで以上に意識をして見ます。」・・・ということが精一杯でした。

 徒、私を・・・私自身を本当に真剣に思われ、考え、後押しをして頂けるお気持ちに対して、心から有り難く感謝をしております。そして、その「心」を大切に、何年掛けても期待に応えられるよう努力を重ね、何時しかご恩返しをしなければと、秘かに誓ったものでした。

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2)宗教団体の環境活動と社会貢献  

  ある宗教団体の名誉会長の功績を称え、「平和の天地、人間の凱歌」と題する展示会が、金沢市内の美術館の一角で開催された。私の隣の議席の同僚からのお誘いで、尋ねて観た。私の心は正に、純にして素直でナチュラルに足を運ばせていた。
それは、20年以上前の自分には考えられない行動であった。 さて、現在も、世界の何所かの100箇所以上で戦争が行われている。
その起因の殆どが、民族戦争であり、宗教戦争でもある。
私は元来、宗教とは、人間の「心を癒す」ものであり、「他人の生命も、自分の生命をも大切にする」ものであると確信しています。
従って、”他人の生命を奪う、特に無差別殺人や自爆を認知し、称賛する”信仰宗教は、絶対にどんな目的があるにしても、認められないと思っています。。 宗教(宗教家)という位置付けは、識見が高く、道理を説くものでなければなりません。
”平和と共生の21世紀文明の構築を呼び掛け、人間を強くし、善くも、賢くする「宗教のヒューマナイゼーション」が欠かせない”
とするこの宗教に、共感を覚えた。グローバル社会で「対立」を超える「対話」など、又、「人間の尊厳」の輝く地球社会を築くために、特にアフリカに光を当てて提案し、今年(2008年)は、「国際衛生年」と定めていることに鑑み、安全な水の確保と、衛生環境の整備を軸に、正しい政策を目指していることにも興味をもった。 輝かしい世界の平和への挑戦、展示場に満ちるその功績に、私は感銘し、環境活動の実績と、社会貢献に驚きを隠せなかった。 一方、引き続いて、私の出身地の白山市議からお誘いを受け、白山市ブロック主催の展示会を観覧した。
旧松任市内の会場には、金沢の会場へお誘いを受けた同僚議員や、高校の後輩、金沢市議会で今春、要職についた市議(高校の後輩)や、白山市議など、多くの知人たちから歓迎を受け、更に、ご丁重に案内をもして頂いた。 この会場は、金沢の会場とは違い、少し簡素なもので、逆に”イメージ的にアピールをしていることが鮮明であった”ように思えた。しっかりと、「人間の尊厳」「水と緑と空気など環境」に対して、強く訴え、提案していることに、好感を持った。 私は、二人の方から、善いものをご紹介して貰ったと思い、感謝し、出来ることならば周りの多くの人たちに偏見や先入観を捨てて、私の体験した、「心」のように、素直になって貰えればと願って止まない。

2008/5/1 木曜日

5月の言葉

       

      神仏は見えずして
 
              傍らを離れず

                             ―髙橋 泥舟―

 五感(見・聴・嗅・味・触)では理解できないが、山・川・草・木 全てに神・仏が宿り、特に親・祖父母・會祖父母等、ご先祖は慈しみの心で常に私共を見守って下さっております。
 人は一人では生きて行けません。神・仏に感謝の心で日々を大切に暮らしたいものです。

            髙橋 泥舟・・・江戸末期の幕臣。槍術の名人で講務所教授。
                     勝海舟・山岡鉄舟とともに「幕末三舟」と言われた。

                                平成二十年五月一日

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