1.「公務員法案の修正合意」ー(人事局で―元管理)
政府与党と、野党第一党が妥協し、修正に合意した。
野党第一党案を丸呑みした格好だが、「天下り禁止」の主張の取り下げや、政治家と官僚の接触制限の削除、などの修正によって合意し、国家公務員制度改革基本法案が衆院を通過した。
今週、参院の審議を経て、成立する見通しだ。
ところで、修正案の柱は「内閣人事局」を設け、”幹部人事を一元管理する”ことであり、官房長官が人事の原案を作る。
このことで、”役所の壁を超えて幹部を異動させ”、今日までのように”各省ごとの閉鎖的な人事制度に風穴を開け、縦割り体制を打ち破る可能性を持つという風に、期待されている。
その上、「棚上げ部分が気になる」ことと、併せて「官房長官を支える体制を整備しなければ、各府省の以降を追認するだけに終わる。」ということが懸念されている。
又、定年延長については、「65歳への段階的引き上げの検討」を具体的な位置付けをしたものの、どこにも、”公務員の人権の尊重や、豊富な人材の活用など、能力実績に応じた体制、今日までの、具体的な評価が見当たらない”ことが、残念であり、更に「大幅な人件費の増に繋がる」事が明確ではない。
〔折角の経験や能力を引き出せない、又、遣る気を出させる環境づくりを考慮しない改革(法律)であるならば、賛成し難い。〕
2.「地方分権委で勧告」-(地方の真意は)
”骨太の方針”をどこまで取り込められるか、それよりも、知事や市町長の覚悟が必要と思われるが、地方の本音はどうも違うようで、足並みの乱れを予知出来る。 今回の柱は国(中央政府)の仕事を県(都道府県)に、県の仕事を市に出来るだけ移譲し、国の補助金を使った公共施設の転用や、譲渡を容易にしようというものだ。
〔地方分権委の勧告の主な権限委譲策〕
さて、勧告では、保育所や老人福祉施設、公営住宅の整備基準を、自治体が条例で決められるように明記した。このことで、”多少狭くても、預かる子供を増やして、待機児童を減らす選択”が出来るということです。
又、補助金でつくった施設を当初の目的以外へ転用しやすくなる。
今までは、児童数が減ったことで、廃校した校舎の補助金返還を求められた。しかし、公共施設に使えば返還は免れたが、勧告では、概ね10年経過後には建物を解体して、土地を売ることも、現状のまま売ることも出来ようになる。
尚、国交省の提示した、国道の15%程度、1級河川の約4割という数値の上積みを求めているようだ。
農地転用の許可について、農水省は拒否したままであり、一方、県から市への権限移譲は、結論を明示したようだ。しかし、県の権限の移譲先の多くを市に限ったことで、町村の不満も残り、まだまだ流動的な様子が窺われる。
〔私は、国民の安全を第一に鑑みながら、国土の保全、主要プロジェクトの整備、管理について、直轄事業の存在が不可欠と考えている。〕
3.「物価急騰、為すがまま・・・」-(日本は無政府情勢なのか)
今日の原油価格の高騰や穀物等の農産物、鉄や貴金属などの鉱物資源も、国際的な相場高騰で軒並み値上がりし、生活必需品の値段を急速に押し上げている。
尚、商品市況の高騰な中国、インド、中東の湾岸地域など、新興国の経済発展が本格化し、世界的な需要構造が変わった影響が大きいと思われ、”エネルギーや食料の国際価格が、更に、一段と高い水準に上がっていく”恐れがあるようだ。
4月には、道路特定財源の暫定税率で、国会の捻れから、一時、ガソリン価格が下がったものの、一ヶ月余りで元へ戻って終ったことに対し、”百歩譲ったとしても、現状は許されない。”
何故なら、「待ってました。」というふうに”便乗値上げの節がある。”商品市況の高騰は暫く押さえていた価格を逸機に跳ね上げ、国民の生活に著しく影響を及ぼしている。
6月には、ガソリン代が170円を超え、生活必需品の値上がりを加えると、一般家庭1ヶ月分の生活費は、1万円~3万円の増に繋がり、手の打ちようがないのか、全く目に見えない。(無策である)
「黙って為すがまま・・・」これを、「無政府情勢である」と言いたく、・・・”政治は何をしてくれたのか疑念を感ずる。”
4.「台湾定期便就航」―(本格的、交流人口依存型時代に突入。)
5月7日は、兼六園を前田公が一般市民に開放した記念日であり、毎年、儀式が執り行われる。当日も、嘗てなかった素晴らしい天候の中、金澤神社で正式参拝をして、関係者全員で記念写真の撮影、そして、恒例の茶会の場所へ移り、勧んで参加された方々と、厳かで、長閑な茶席の一時を楽しんだ。 この折、2~3の団体と園内で遭遇し、少し会話をする機会を得た。その人達は、台湾のツアー客であると分かり、他県の空港よりバスで、或は、乗り継ぎで来られたと聞き、驚いた。
”上海からの中国人でもなければ、ソウルからの韓国人でもなかった。”
”台湾には、未だ直行便が就航していなかったからだ・・・。”
この姿を観て、”愈々、この時代が来たのか。”
正に、「本格的に交流人口依存型時代に突入したようだ・・・。」 「嬉しい」というか、改めて、「認め、慣れることである」と自覚した。 次に看板を観ると、「日本語と英語」だけだった・・・。インフォメーション(パンフレット)には、日本語、英語、中国語、韓国語の4ヶ国語で記載されているという。
それぞれの各所の案内は、パンフで示し、トイレなどは共通の略絵(世界統一のもの)で掲げるように提案したい。
〔日本三大名園の景観を損なってはならない・・・。〕
台湾定期便が、6月1日より、就航されたことに対し、”昨今、日本人の団体旅行が少なくなり、人口減が予測される今日”、大いに歓迎し、心から喜んでいる。
5.「神谷内IC未整備箇所の工事着工」-(哀しい歪んだ風潮)
平成19年10月25日「四車線合意表明」、平成19年12月28日「用地補償費基本合意」、平成20年1月9日「用地補償費契約調印」。
一連を鑑み、振り返ると、何か坦坦と行われたかのように見られる。
しかし、そこには、道路管理者関係と地域住民と、地権者(文化財家屋等所有者)等の紆余屈折、凄まじい16年余りの歳月(歴史)が在り、それぞれの言い分と譲れない確執があった。
私は、先のブログで記述したように、”余りにも極端な地権者の偏った虚像と、目処が立っていない「ジレンマ」から、見ず知らずの方の門を叩いた。”それは、”そんな筈が無いと言う事を確かめることと、何とか仲介し、解決出来ないものか”と、誰に依頼されたことも、理も無しでの「はちゃめちゃ」な行動であった。
それは、2年数ヶ月前のことであり、以来、会った回数は60数回、時間にして160数時間、他に、電話・手紙・メールなど熱心に接し、話し合い、真摯に取り組んだ。
地権者の方々も、「何者か分からない私を」少しづつ「知って貰い」、私も方々と接し、これまでの「噂に反した、温かいもの」を感じるようになった。
”私は常に全力で傾注し、心を曝け出して来た。”
[私がこの件に関わり、合意(解決)に至り、一翼を担ったことに対し、余程、面白くないと思われている方が存在するようだ。]
(何故なら、私の二年余りの実績を「歪んだ風潮」を立て、公然と発言している。)
正に哀しいことである。それは、時間が解決することであり、歴史が証明することかも知れないが、しかし、敢えて真相を語りたい。
【過去の傷付けられた経緯、思いと違った裏切り。・・・・四面楚歌、被害妄想、人間不信、閉ざされた心の窓、地権者は、一時は自らの生命を絶つことも考える。
移設する場所の提示(墓地の近く、崩れた竹薮の下で陰気な箇所)、 だから「二車線を認知、四車線には反対」】
この時期に、私が初めて尋ねた。従って、互いに知り、信頼関係が芽生えなければ、この件での、中身の話に入れないし、聞いて貰える筈も無かった。
最初の時期には、地権者の言い分、意見、考え方をまとめ、文書化して、出来ることを自分なりに選別した。
既に一年余り経っていた。
【二車線ならOK・・・!否、四車線で無ければ駄目だ・・・!】
固より、地権者の彼は、”四車線の場合には、崩地に近い所の移設をしなければならない等、安全面、環境面が確保出来ないことから好まず、二車線ならOK・・・!”ということであり、”将来、人口は減少し、交通量も減ることが予想されることから、二車線で良いと言う主張を続けた。
一方、私は、”将来には、言われた通りかも知れないが、現状では、100人中99人までは四車線を必要としている。少なくとも、ここ10年から20年間、貴方以外は四車線を必要とする。”と双方で対立していた。
【文化財の建物を構造的に移設出来るか調査を・・・提案】
この溝が、なかなか埋まらない状況であったが、私は、”二車線でも四車線でも何れにしても、移設が伴うので、調査をして貰ったらどうか・・・。”、”高齢者がお居でることから、生活したまま、移設出来ないか・・・も、併せて調査して貰ったらどうか・・・。”という提案をした。 当局に調査をして貰うことを嫌った彼に、自分で調査をするよう勧めた。
”知り合いに曳き方業者が居ないのか・・・・”。「居ない」ということで、私は”専門業者が県内に二者しか居ないが、どうしますか・・・?”と尋ねると、「もしご存知ならば紹介して下さい・・・!」という遣り取りで紹介をすることとなった。 業者は訪問し、建物の周りを視て回り(床下は入れず)、概ね、”なんとか曳けるだろう・・・!”という答えろ貰ったということを、後程、聞かされた。
【未整備箇所の着工・・・。でも曳き方等、移設関係業者は未契約・・・”】
この状況まで、既に門を叩いてから二年近く経っていた。現在(6月初旬)、未整備箇所のIC(インター)取り付け工事が着工され、二年前後の工期で完成が予想される。
しかし、移設に必要な関係業者の一部を除き、殆どの業者(曳き方も)は、未契約である。(6/7(土)~6/10(火)頃に契約の見込み)
”工期全体に影響を及ぼすのでは・・・。”と心配の声が私の耳に入り、一日も早く、万全の体制で挑めるよう見守りたい。
【四車線合意(10月25日)をしたにも拘らず、直ぐに、何故、公表しなかったのか・・・?】
それは、交渉の窓口は、息子さんでしたが、お父上が以前、道路関係者に対して、「息子が返事をしても印鑑を押さんぞ・・・!」と怒鳴られたことがあったこと。
次に、移設予定地と用水移設(法面)地等の関係地権者の了解を得なければ、真の合意とみなされなかったこと。
それで、公表前に、順序を間違えず、周囲の方々の理解と協力の上、確かめることも加えて、進めて行く必要があったというふうに聞いております。
【地権者の理解と協力によっての合意・・・!だから、私は、これからも見守る。】
何故、歪んだ風潮を立てるのか・・・。不思議であり、哀しいことだ。
地権者との接し方には、多くの関係者が携わり、それぞれ一生懸命頑張って来られたことは、少なくとも私は認めている。立場や環境の違いや、考え方、接し方の違いは然る可し、手段で遣られたことについても、理解している。
人は、それぞれであり、偶々(たまたま)私が、総合的コーディネーターをする機会を得たということで、私には傲りはなし、皆での成果であり、嬉しさ一杯です。
〔ところで、地権者の方々がこの結果(合意)を決して満足されている訳では無く、”私の意を組まれ”、”多くの関係者に対して、我慢の中から理解し、協力してくれた”ものであったということを知って頂きたい。 だから、私は、移転をされ、少しでも元通りの生活に近づけることを見届ける責任と、自分との約束と、今日までの友情が有り、「心」が有るので、いつまでも、この方々と関わり、守り続けたいと思う。〕