| 人の患いは一曲に蔽われて 大理は聞きにあり |
| 物事の一面にとらわれて、全体を把握出来ない。これは、人間の欠点である。 人間は自分の持っている基準にあてはめて物事の判断をする。 ①固定観念から脱却する事。 ②冷静な判断を養う事。 ③確実な情報を入手する事。 平成20年11月1日 |
2008/12/26 金曜日
2008/12/10 水曜日
12月の言葉
(1)師走(節目の日)
午前5時半、真っ暗な早朝、お一日の日の始まり、月初めの行事のスタートであり、いつものように、私の車に、嫁と孫4人が同乗して自宅前を出発した。
既に、出発前には、東の空(太陽に向けて)①、仏壇②、神棚③にお参りをした。
”おはようございます。今日一日、今月一ヶ月間、一生懸命頑張ります。どうぞお見守り(御加護)を下さい。”と、”心の浄誓”をします。
毎月、白山比咩神社④を6時の参拝と決めて、約24年間続けています。崇敬者総代を34年位前から就とめている。主な要因としては、父が経営する事業所名に「白山」を付けたこと、更に、私の妻が舞姫(巫女)をしていたことであります。
尚、自宅までの帰りしな、住まいする地元の額東神社⑤にお参りをした。
平成16年10月1日。私一人から、初めて同行者を伴った記念の日でもあります。
”祖父ちゃん、一日参りに僕も行く・・・!”
と、内孫の長男が、保育所年長の折、自分から希望し、連れて行って貰いたいと云う事でした。以来、一回も欠かす事無く、今日まで続いており、刺激を受けたのか、嫁や孫たちも同行するようになった。
特に、平成20年10月1日より、初めて、一日参りを続けることを宣言し、参加したのは、外孫の次男の方で、未だ5歳でした。現在は、義務感であるのか、使命感と思っているのか、全員続けております。
さて、月初めの一日には、毎月、「Ikoc.A」恒例の理事長として、私は訓示をします。その中で、白山比咩神社の宮司から、今月の言葉として頂く内容を披露し、Ikoc.Aの其の月の目標社訓としています。
その朝礼の前に、神棚に⑥、次に、出身地旧河内村の(自宅)で、妻と仏壇⑦、神棚⑧、福岡区の地元の佐野神社⑨、先祖の墓地⑩、に参拝した。(夏休みや、土、日、祝日には、旧河内村へ全員同行する)
次に、白山市のグループ本社⑪、野々市町のグループ会社⑫、PSO(私の事務所)⑬、KNH(会館執務室)⑭、選挙時の祈願祭をしている禅ヶ峯神社⑮、HSO(広坂事務所)⑯に参拝したことで、1日の締めとなりました。”今日一日、頑張ろう!12月、師走の月は、しっかり頑張ろう!”と、決意を示す「節目の日」でありました。
(今月の宮司の言葉)
「40回目の結婚記念日」友人夫妻とソウルへ
1969年、昭和44年11月23日、妻21歳、私が23歳の時、結婚式を挙げた。
2008年、平成20年11月23日、今年の「勤労感謝の日」は、満39年目。40回目の結婚記念日となる。

白山比咩神社 指輪交換 1969年(昭和44年)11月23日
”今年の結婚記念日はどうしようか・・・。” 既に、妻60歳、私も62歳になり、米国発金融危機から、世界大恐慌の兆しの中、円高が進み、ドル、ウォン圏内での旅行が、極めて有利と知った。
この際、近場で何処かと、色々模索をした結果、韓国のソウルとした。私の妻が不在の折、友人であり、グループ会社の社長である夫妻と夕食を共にした。食事し乍ら話が弾み、”連休に何処かへ”と云う話がエスカレートをした結果、決まった。
私たち夫婦にとって、「40回目の結婚記念日」となる小旅行に、同行して貰える方。それは、並大抵ではないことだ。
私たちにとって、”数少ない夫婦ともども、信頼の出来る、心の許せる間柄である”ことからの実現でした。
勿論、この旅は、小松空港から出発し、小松空港へ戻ることを第一に考えてのもので、11月21日、午後4人とも元気に出発した。
(第1日目)
午後2時過ぎ、ソウル(仁川国際空港)に着き、早速ホテルへ。宿泊先は、3日間とも「ホテルソフィテル、アンバサダー」であり、チェックイン後、即、市内へ。2時間位ホテル周辺を見学に歩いた。
金沢でいうと、近江町と、北安江や竪町通りにあたり、若者の溜まり場のような雰囲気のエリアであった。ビルディング化した3ヶ所が、”何か百貨店とは違うなぁ・・・。”という印象を持ち乍ら、観て回った。
夕食は、ホテル近くの韓国風すき焼きの店へ予約無しで入り、ゆっくりと初日の総括をして寛いだ。勿論、美味しく、味は私たちに合い、然も、安かった。
(1円が150ウォン。通年の1.5倍になり、得である。)
(第2日目)
世界遺産巡りをするためのオプショナルツアー(華城、昌徳宮、宗廟)を選考した。
(1)「華城」
世界文化遺産で、城郭の花「華城」は、朝鮮第22代正祖大王が、2年9ヶ月を掛けて完工した。
正祖大王は、その父親思悼世子の御陵を楊州拝峯山から、水原の花山に移し、その付近に龍珠寺を建て、父王の冥福を祈り、当時、花山の麓にあった官庁や民家を、八達山の麓に全部移転させ、水原府を留守府に昇格させたのが、現在の水原である。200余年前、築造された「華城」は、最も近代的な規模と機能を持ち合わせている。美しい「華城」の建築は、城郭建築史上一番独歩的な建築物として評価され、1997年に世界文化遺産として登録されたものです。
(2)「昌徳宮」
「昌徳宮(チャンドックン)」は、太宗5年(1405)正宮である景徳宮(キョンボックン)に次いで2番目に建てられた、朝鮮時代の宮殿です。
「昌徳宮」は、高宗2年(1865)まで廃墟のまま放置されていたものを、光海君時代(1608~1623)に入り、再建され、最も長い期間、実質的な朝鮮の正宮として使われた。
朝鮮時代の宮殿のなかで、原型が最も多く残り、自然との優れた調和が認められ、1997年に世界文化遺産として登録されたものです。
(3)「宗廟」
「宗廟」は、儒学を統治思想として建国した朝鮮王朝が、歴代国王と王妃、そして、死後称号を贈られた王と、王妃の位牌を祀り、祭祀を執り行った場である。
「宗廟」は、全人類の為に保護すべき顕著で、普遍的価値がある文化遺産として1995年に認定され、更に世界文化遺産として登録されたものです。
又、人類の口承及び、無形遺産傑作に宗廟・祭礼と、宗廟・祭礼楽が2001年に登録された。
世界文化遺産巡り終了後、ロッテ百貨店、免税店などを回り、夕食は焼肉店とした。
(第3日目)
早朝、ロッテホテルへ移動し、非武装地帯専用のオプショナルツアーに参加した。
ツアー内容は、非武装地帯と都羅山駅、都羅展望台、第3トンネル、自由の橋などを観ることです。
非武装地帯とは、1953年韓国戦争の休戦協定の締結とともに作られた区域で、見えない無形の線、軍事分界線から南北、それぞれ2km(幅4km)韓半島を東から西まで、241km(155マイル)に達する。総面積6400万坪の広大な地域で、あらゆる軍事行為及び、敵対行為を一切中止する緩衝地帯です。
都羅山駅は、民統線の北方にある、京義線の南側の最北端駅で、2002年、米国大統領が訪れている。
都羅展望台は、北朝鮮の風景と、非武装地帯が眺めれる。

「都羅展望台」
第3トンネルは、ソウルから1時間位の距離で、約44kmにあり、1978年に発見された。長さ、1635mで、南方限界線の435kmまで達していて、地表面から73mの地下につくられ、北朝鮮兵力の1個師団を1時間で進入させることが出来る。
第1トンネルは、’74年に、第2トンネルは、’75年に、第4トンネルは、’90年に発見されている。
自由の橋は、’53年、休戦協定された後、戦争捕虜12,733人が、この橋を通じて、「自由萬歳」と叫び、帰って来たことから、「自由の橋」と呼ばれている。
韓国では、ロッテ観光(㈱の鄶蘭如(チョン)ガイドにお世話になりました。特に、南山商店街や、ロッテ免税店などを案内して貰い、買い物をした。
最後の夜は、彼女(チョンさん)を交え、ロッテホテルの地下で、私たちの40回目の結婚記念日を、友人夫妻と5人で、美酒(シャンパン)で乾杯し、味わった。
美味しい韓国料理と、同席した友人たちとのこの日の想い出は、生涯、忘れることのない「素晴らしい記念の一時」でした。
各自に感謝したい。有難う!(同行した友人夫婦に)
そして、長い間、連れ添って貰って有難う!(妻に)
皆に有難う!(家族、親戚、友人、スタッフなど)
翌日、5時起床、6時チェックアウト、早朝、ホテルを後にし、もう、午前中の内に郷里の土を踏んだ。
2008/12/5 金曜日
クリック(吸着音)8~防災事業「砂防」に執着する~
(8)防災事業「砂防」に執着する
1)加賀市内及び、浅野川災害の視察(県議砂促研)
2)砂防の発祥地「カルデラ」視察(県市町議砂促研及び、県砂促関研)
3)百万貫の岩祭り
4)2008「砂防フォーラム」輪島大会
1)加賀市内及び浅野川災害の視察(県議砂促研)
11月7日、県議会砂防事業促進研究会の県内(加賀)視察が、県議会員(会長以下15名)及び、県土木部長、砂防課長などの随行者を加えた、視察団が構成され、大型バスによって1日コースとして、実施された。 視察日程は、午前中に柴山潟浸水対策事業と、お宮川通常砂防事業で、午後からは、芝原急傾斜地崩壊対策事業と、折谷急傾斜地崩壊対策事業と板ヶ谷川災害関連緊急砂防事業の、次に示すように5箇所とした。
①柴山潟浸水対策事業
平成10年、平成16年の台風、平成18年の梅雨前線などの豪雨により、浸水被害が生じ、”彩湖”とよばれる安らかな水辺を再び・・・をモットーに、安全・安心な湖岸堤を、約3.2km.を整備する。
堤防整備 全体計画図(PDF)
温泉街地区整備構造図(PDF)
温泉周辺地区整備構造図(PDF)
②お宮川通常砂防事業(加賀市、旧山中町旭町地先)
大聖寺川交流お宮川に、土砂流出を防ぐための堰堤を設置し、その下流から合流点まで、渓岸保全区として、「緑の砂防ゾーン」と位置付けし、地域の意向に然って、整備している。
お宮川通常砂防事業流域概要図(PDF)
③芝原急傾斜地崩壊対策事業(金沢市芝原町地先)
浅野川災害(局地的大雨)砂防関連として、以下の図に示す通り。
④折谷急傾斜地崩壊対策事業(金沢市折谷町地先)
以下図に示す通り。
折谷災害関連緊急急傾斜地崩壊対策事業(PDF)
⑤板ヶ谷川災害関連緊急砂防事業
以下、図に示す通り。
板ヶ谷川(1号谷)災害関連緊急砂防事業(PDF)
又、昼食時(小松市内)に、浅野川上流域の土砂災害について、当時の気象状況や災害箇所全般に渡って、事前要旨説明をした。
次に、小松市内から、金沢市へのバス中で、「浅野川における豪雨災害を受けて」をタイトルとしたDVDを、約30分間放映した。
20日後に、国交省所管のヘリコプターによって、上空から撮影した、大野川との合流点より、上流の板ヶ谷までの全線で、珍しいものでした。
以上、昼食時も車中でも研修という正に、充実した内容で、加賀市視察地では、南加賀土木総合事務所、所長以下、スタッフにより、又、金沢市浅野川上流視察地では、県央土木総合事務所、所長以下スタッフにより、何れも一生懸命、図面を広げ、誠意ある案内(応対、説明)をして貰い、出席者は満足をし、視察の意義を噛み締めていた。
2)砂防の発祥地「カルデラ」視察(県市町議砂促研及び、県砂促関研)
天候に恵まれた立山砂防見学には、定員21名の小型バスが満席という人気振りで、県市町議会砂防事業促進研究会及び、県砂防事業促進関連業研究会合同の県外視察でした。勿論、私が参加しないと、有意義な視察内容が伴わないということから、特に、私の名で申込みをし、実現した。 さて、早朝のバス内で、「浅野川の氾濫状況」を上空から撮影した、DVDを上映したことで、全容とその動きを見ることが出来た。 又、視察目的が、次項のように区分される。
(1)常願寺川の「水辺の楽校」
対岸両小学校の体験型学習フィールド(きらきら広場)
(2)有峰ダム「有峰林道」
北電の有峰ダム。有峰森林文化村、有峰県立自然公園、立山砂防に繋がる有峰林道。
(3)立山「カルデラ」
常願寺川の水源部で、火山噴出物や、崩壊堆積物が多量あり、崩れやすい。
(4)日本一の貯砂量「本宮砂防堰堤」と「文化財」
常願寺川の中流部で、貯砂量500万㎥という日本一(有形文化財)。
(5)日本一の落差「白岩砂防堰堤」と「文化財」
カルデラの出口に位置し、砂防堰堤と副堰堤を合わせて108mの落差は日本一(有形文化財)。
(6)豊かな緑を創出「泥谷砂防堰堤」と「文化財」
荒廃著しい常願寺川支溪で、侵食防止のため、連続的に堰堤を築き、豊かな緑を創出(有形文化財)。
(7)砂防工事専用軌道「トロッコ」
18段のスイッチバックがある。工事資材や生活物資と作業員の送迎や運送をする等、重要な役割。
一見で、砂防事業の必要性と全容が解るこの地は、正に、砂防事業の発祥地であり、流石「立山カルデラ」と感動した。
3)百万貫の岩、祭り
昭和9年の手取川大洪水で、上流から流出した大岩で、昨今、毎年11月のこの時機に「百万貫の岩、祭り」として実施し、継続している。
今年、祭りには、大自然を育ませる意を組んで、”孫5人を連れて、3回目の参加をした。
関心高い孫たちに、「洪水と土砂流出」、「自然災害の恐ろしさ」を見て、少しばかりですが、学んで貰った。
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百万貫の岩案内 百万貫の岩の上で 百万貫の岩近くの大岩の上で
(4)2008「砂防フォーラム」輪島大会
①変遷
これまでの都道府県単位の砂防協会は、平成の市町村大合併に伴って、市町村長を会員としていることから、参加会員の減少に繋がり、組織が弱体化することを懸念した。
更に、上部機関の全国治水砂防協会にとっては、法律の見直しなど、急遽、その対応策が迫られていた。
その一つが、都道府県議会及び、市町村議会などにそれぞれ組織化し、「賛助会員」と位置付けした。そこで、その思惑を察知した私は、早速、当時の県議会議長に相談をし、既に、新潟県や富山県などで設立している団体を参考に、本県での準備を進めた。
発足した団体名は、「石川県議会砂防事業促進研究会」で、当時、会員は、12名(現在26名)で、引き続いて、「石川県市町村議会砂防事業促進研究会」及び、「石川県砂防事業促進関連業研究会」を次々と発足し、旧来の「石川県砂防協会」と併せて、砂防関連四団体が、この時機に、揃い踏みした。
第1回2005「砂防フォーラム」白山大会
砂防部長よりNHK気象予報士に
「砂防大使」を委嘱
「全国で初めて」という強力な砂防事業を促進する団体がスタートした。
この時機の其の組織は、正に「的を得た」ものであった。その証は、次に遣って来る、一部理不尽と思われる治水砂防事業に関わる、地方分権への動向である。
第2回2006「砂防フォーラム」七尾大会
準備会及び、事前研修会
NHK気象予報士の「砂防大使」を囲み
2003年、地方分権の声が全国的に高まり、財源委譲の関わりが問題視されているものの、三位一体改革が、強力に奨められた。当然、治水事業に属する砂防事業も、地方への分権への流れに対して、例外で無かった。
「国土の保全」は、均等に国力で、「防災事業の砂防は予防事業で、国民の目から目立たない」こと、更に、「有事など災害に対して」は、均一に国力で、即、対応することが最良である。
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第2回2006「砂防フォーラム」七尾大会
受付 実行委員長の開会の辞従って、砂防を中心とする治水事業を国機関の存続を含めて、流れに逆らって、事業促進運動を展開した。
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第2回2006「砂防フォーラム」七尾大会
大会長挨拶 砂防女性特派員の活動報告全国唯一、その一環として「石川県治水砂防関係事業促進大会」を県議会議事堂で、国会議員及び国交省の本省から高官を招いて、会場溢れる許りの参加者と、熱気の中、開催した。
又、県議会で、意見書の請願を全会一致で決議し、凡ゆる、砂防事業の危機打開のための、対策を講じた。
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2004.10石川県治水砂防関係事業促進大会
主催者挨拶 県砂防協会代表 来賓席(国会議員、砂防計画課長等)その一連から、広く市民に啓蒙するためにと、発案されたのは、「砂防フォーラム」です。
②防(まも)ろう! みんなで ふる里を (砂防フォーラム実行委員会)
石川県を代表する白山砂防の所在地域である白山市で、第1回目(加賀地区)を、2005「砂防フォーラム」白山大会、第2回目(能登地区)を、2006「砂防フォーラム」七尾大会、第3回目(金沢地区)を、2007「砂防フォーラム」金沢大会は、「土砂災害全国大会」に併せて開催した。
土砂災害防止推進の集い全国大会及び、
第3回2007「砂防フォーラム」金沢大会
開会式参加者も、会場の器に応じ、第1回目860名、第2回目1,000名、第3回目1,950名で、県内での「フォーラム」は全域に行き届いたものとして、一区切りとなった。
しかし、能登震災地である関係者から、”引き続いて開催して欲しい、どうか、奥能登の輪島で・・・。”と「砂防関連4団体の顔合わせ会」で要望があり、全員一致して継続することと、次回の開催地が了承され、第4回目は輪島市(奥能登地区)で、開催する運びとなった。早速、実行委員会が設立され、4回の打ち合わせをした。(内3回、私も出席した。)
又、実行委員会事務局の幹事会が数回開催され、準備が進められた。
特に、最終(第4回目)の実行委員会には、大会長となる市長も出席し、全委員に協力の要請と、感謝の挨拶があった。
協議内容は、会場、参加人員、駐車場、応対、役割分担、教育委員会(中学生参加)など、団体の協力など、綿密に打合せをした。「砂防フォーラム」は、国土交通省砂防部や、全国の砂防関連団体を中心に、石川県が発祥の地として、定着した。
土砂災害全国大会及び、第3回2007「砂防フォーラム」金沢大会
大会会場
そこで、第1回大会から、市民(町会長、区長、老人会、女性会、青年会、女性及び青年関係団体など)の主催で、開催地の関係者によって、実行委員会を設立し、マスコミ等の後援と、砂防関連4団体のサポートによって実施してきた。
土砂災害全国大会 砂防部長
第3回2007「砂防フォーラム」金沢大会
金沢歌劇座 会場へ入場する中学生
③大会 第4回2008「砂防フォーラム」輪島大会

第4回2008「砂防フォーラム」輪島大会
開会式

第4回2008「砂防フォーラム」輪島大会
砂防部長、他主催者
大会会場の1200席の椅子が満席になり、正にバラエティなメンバー、中高年男女、青年、女性、中学生など、年齢、職業も幅広く、”如何に市民の手作りであるか”を確認が出来た。
開会は予定通り、13時30分に(地元の女性司会者の案内〔進行〕)で、実行委員長(地元町連会長)の開会の辞、続いて、大会長(地元市長)及び、実行委員会関連団体を代表して、(県町会連合会副会長)の挨拶、来賓の祝辞(1.知事[代理に土木部長]、2.元県議会砂促研会員の地元選出国会議員、3.県砂防協会を代表して、副会長の能登町長、4.県議会砂促研を代表して、副会長の県議)、引き続いて、主な出席者の(国交省金沢河川国道事務所長、県議、市町議会議長、県出先所長など)の紹介があった。
・主催者
・来賓
次に、正面ステージ左に、国交省砂防部長と、右にNHK金沢放送局長とNHK気象予報士が着き、砂防部長より、気象予報士に『砂防大使』の辞令を交付した。
続いて、襷姿の『砂防大使』が、”「気象と災害」いしかわの天気”と題して、基調講演をした。続いて、アトラクションとして、毎年、全国ジュニア大会で優勝を競っている、地元の【輪島和太鼓虎之介】が、災害を吹き飛ばすかのような、”美しい能登”など、コメントを挟んでの上演があった。
暫く休憩、(ステージチェンジ)の後、
国交省金沢の流域対策課長と、県砂防課長より、それぞれ砂防事業の「いろは」と現状報告があり、意見発表に入った。
意見発表者(地元門前中の男女各1名、老人会代表、女性会代表、青年会代表)が、各自、中身の違う観点からの幅の広い砂防事業の関わりについての意見発表があった。
次に、大会スローガン
1.国土の保全、日頃の備えを第一に、安全安心のまちづくり
2.この手で防るふる里の、山、里、海まで、おらがむら
3.陰ながら、防る生命と家、田畑、砂防事業のおかげです。を地元の女性団体を代表しての朗読があり、満場の拍手をもって承認され、大会スローガンとした。
引き続いて、国交省砂防部長より、講評として、「砂防」に寄せる関心と市民の手作りであり、各団体の参加している実行委員会に対して、温かいものを感じられたこと。特に、意見発表の5名のそれぞれを、事細かに分析しての評価があった。限られた時間であるため(割当てが短時間過ぎた)、完全消化を果されなかったようだった。
最後に、青年団体の中から、商工会議所青年部を代表しての閉会の挨拶で納めた。(45分超過)
④反省会
「国交省砂防部長」と、「砂防大使」を中心とする、長期間、頑張って貰った実行委員との交流をする場所である。
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スピーチ(講評)
NHK金沢放送局長 国交省金沢所長 県土木部技監「大会」を無事、納められた苦労と成果を称え、労う唯一の機会である。今回、「砂防」という、今日まで無縁であったものを、”少しでも知る”ことが出来た感想を含めた”喜びを、”全員で分かち合う”席であった故です。
大会の延長のような、雰囲気であったことは、大いに反省しなければならないと思う。
⑤総括
要人より一言、”政治色が強かったですね・・・。選挙が近いから仕方ない・・・。”
私の最も気にしていたことを、ズバリ云われ、「心臓をグサーッと突き刺された」ような思いをした。
<評価>
駐車場の誘導、管理、受付、応対など、大変良かった。
大きな器であるホール、1200名定員の会場を、略一杯になったこと。意見発表をした5名は、各自「震災、土砂災害、山々の植林、水、空気、漁業など」がそれぞれの立場で思ったことを、適切に述べていたこと。などなど評価できる。
<反省>
大会の冒頭での挨拶(主催者、来賓)が長かった。(主旨を理解していない)20分オーバー。
和太鼓の上演は全国レベルのすばらしいものであるが、この会場では、引き立て役に回るようにする。従って、時間が多少長かった。10分オーバー。
舞台チェンジをする際の繋ぎ方の工夫が大切であり、司会者とスタッフの連携に問題あり。5分オーバー。
現状報告の国交省と、県の課長の内容ももう少し「レベルダウン」が臨まれる。10分オーバー。
計45分オーバー。
「変遷」で述べたように、少しでも多くの方に、理解して貰えたならば・・・。特に、来賓や行政機関の関係者に、この主旨、目的を知って参加して欲しかったと強く感じられた。


















































