1.関係者の思いの結集
1)道路管理者(国交省)の変心
従来、道路事業(主要)は、路線の認定に当たって、形式的な機関決定に基づくものが多く、然も、全国展開でのプロセスを、一様に扱う方針を貫いていたようです。勿論、特定の箇所で、躊躇し、少しでも方針の転換をすることは、全国の各箇所に影響を及ぼすことを、懸念してのもので、理解はしていた。
しかし、最近になり、道路に対する(公共事業の中で特に)世情の注目度もあり、「エリアの声」や「地域の活用し易い愛される道路」にと、しっかり、耳を傾け、対応をする柔軟な方向になった。
その延長での神谷内インターの未処理箇所であったことから、私は管理者側と地権者側との「考え方や思いの心」の溝を埋めるためのカウンセラー、ある時はコーディネーターと成って、真摯に仲立ちをした。
そこで、一つ一つ諸課題について、真剣に問題を提起し、方向性を見出すことによって、管理者側の誠意が少しづつ、地権者側に理解して貰えるようになった。従って、それには、時間と、何回も繰り返して会う(回数)必要があった。「合意」に至ったことは「地権者側の思い」に対して、「誠心誠意」臨み、解決に向けた管理者側の並々ならぬ決意が通じたことにある。
それは、道路管理者側の変心に外ならない。
2)関係官庁(石川県、金沢市)の協力
この神谷内インターの取付道路については、石川県は四車線の主要道路として位置付けをし、金沢市は、都市計画道路として未処理地域まで、既に完成をしている。
石川県は、長い年月に至って、様々な方の要望や意見に対応し、苦慮をしていた。一時には、過激な行動に迫まれ、その方向性を強いられていた。無論、金沢市も同様であったが、地域とのコンセンサスと、地権者側とのパイプ役、周辺整備等に
ついて、管理者側の意向を汲んで、真摯に取り組んでいた。
石川県は、風致地区内での事業推進に、金沢市は周辺整備等調整にと、汗をかき、しっかりとその役割を果たしてくれたもので「合意」は、その協力のお陰でもあった。
3)求められる交通安全
確かに、生活環境(開通後)を考えると、不安を隠すことができない。騒音、振動、日当たり、風向き、法面保護、出入口等(国交省)、町会と、周辺地域との取付道路のアクセス等(金沢市)の諸課題について、解決し、安全なものにして貰いたいと思う。
取り分け「交通安全」に対して、道路管理者は、公安委員会等の理解と協力の基で、既に完成している市道(都市計画道路)が生活道路(側道が無い)であり、そのエリアを含めての速度制限や、信号機の設置等をする協議が、地域とされるだろう。
4)通勤エリアと地域住民の熱意(駅周辺、県庁周辺、湊地域、森山・鳴和・森本地区等)
もともと、地域とは、インター周辺のエリアと捉えていた。しかし、その範囲、影響力の大きさ(広さ)は限りなく、中に入るにつれて解ってきた。未整備の間は、御所と森本インターに、皺寄せが行き、通勤範囲では、鞍月・駅西・諸江・湊地区等まで広がり、このインターの開通を楽しみにしている。
その開通への思いは、地域住民の期待と熱意は勿論、広範囲の市民が待ちに待っていることを確信した。
本線の開通にあたり、利用者にとっては、利便性が高まり、更に経済的発展に繋がり、大きな役割を果たすことは間違いないと思う。徒、地域住民にとっては、喜びの反面、開通後の生活環境に不安を残すこともある。
5)文化財の環境保全と地権者の思い
固より、地権者は、永住の地として来たこの場所より、離れることに躊躇した。しかし、今日までの功績、地域での立場を鑑み、道路計画に賛同し、軈て関係機関の役員に祭り上げられた。そして、関係者と行動を共にして来た。いや、寧ろ、積極的に事業推進に取り組んできたという。
ところが、その折の折衝と交渉段階で、不信感を抱かせる行為が、直轄事業を助力する、窓口の立場の方と生じ、結果は騙された形となり、地権者にとっては、決して許されるものではなかった。その後、誠意ある説明も解決も無いまま、溝が深まることとなった。
当時は、”動きたくない”ことから、文化財の指定に対する申請があるという風評には、些か誤解があり、この際、真意を伝えたいと思います。
文化財指定家屋になってからは、先祖が100年余前から、永住の地として来たこの家屋の保護をすることが自分の役割であると、諭してなのか、本当に真剣に勉強し、対応していたように思われた。 他地域の移転は、ほぼ不可能であると私は理解し、隣接地への移設(曳き方)一本に絞って臨んだ。 過去に崩れた跡地には、近づきたくないという思いは、四車線を認めず、二車線なら合意するというものでした。それからの二年有余年の歳月、私と地権者にとっての交誼は、生涯忘れることの出来ない、濃い中身のものでした。
さて、一昨年10月25日、「四車線合意」を受けて、文化財家屋の移設と環境に対する保護、生活の安全性の確保については、私は、道路管理者側と地権者側の間にたって、約束したことを必ず守り、その責任を果たしたい。
今も、一週間に一度のペースで、私は、現地に立っています。
2.二つの焦点
1)今春に移設完了
文化財家屋(大規模で複雑)の移設(曳き方)の見込みとしては、充分な期間を要し、更に、葉緑樹の移植の時機を考慮することから、今春になるようだ。
しかし、地権者の希望の調査や移植等もあるようですが、全体の流れに関しての未処理地区間の本工事については、着手しても、並行して行えることから、差支えなく、施行出来るようです。
2)埋蔵文化財調査
神谷内インターの事業に入るにあたり、埋文調査を順次行って来たものです。その実績と仮堀等による間近の調査結果により、未処理地(100有年前の宅地は、切土による施行のようです。)の埋文調査は、専門家(県埋文事務所)の判断では、不必要のようです。この正式な報告により、大幅な工期の短縮が見込まれ、早期開通に向けて、更に、弾みがつきました。
3.期待と至福の境地
1)交通の流れ
先に述べた通り、本事業の開通に伴い、渋滞を余儀なくされる箇所、御所や森本インター等のように、緩和される所など様々である。県内の南部と北部との距離間を更に縮め、山側環状と国道8号線バイパス、北陸道とのアクセス、地区、地域では、駅、県庁、湊などの利便性を高め、通勤範囲も広がり、経済効果は抜群に求められると思います。
しかし、道路沿線の生活道路としている箇所には、今日までの交通量の少ない使用の仕方と打って変わり、激しい往来に悩まされ、更に、開通後にその解決策(課題)が更に、迫られることになるだろう。
2)至福の境地
歴史に残る大偉業を遣り遂げたという満足感は立場によっては、様々と云えるが、確かなことは、それぞれの責任に対する安堵感と喜びがあるように見える。唯一、地権者にも、他関係者と違う安堵感があるようで、しかも、もし、開通の見通しが早まっても、未だ、周辺の未整備と家屋の整備中に拘り、不安を隠し切れるものではないと思う。
しかし、そのような脳中でも、方向が見え、再び平和が来ることを心から臨み、地域の一員として、正常な、昔に戻りたいと願うのは、極、自然なことではないでしょうか。