2009/3/23 月曜日

大物(元官僚)の来県!!  -信頼と友情の証-

 去る3月12日(木)に、元石川県商工労働部長(6ヶ月)、総務部長(1年6ヶ月)を勤めた、(旧 大蔵省、現財務省両省の事務次官経験者)、前、日本銀行副総裁が来県された。勿論、現職の業務の範囲ではなく、所用で嘗ての県職の部下の仲介で、13日に経済人の後援を依頼され、4ヶ月前からの約束で、今回、実現したものです。

raiken_2.jpg
集まった有志と集合写真

 さて、M氏は現在、大和総研の理事長、東大大学院(研究室)教授、開成学園の学園長を歴任し、今日までの経験を活かし、幅広く、ご活躍をされています。M氏のお人柄、人間性を高く評価し、尊敬している関係者は多勢に跨っている。私もその一人であり、25年間、真にご厚誼を賜わり、お世話になっている。

 久し振りの来県であり、夕方には嘗ての部下が勢揃いをし、旧友を温め、懇談をしたようだ。
M氏の感想では、

「当時の部下が全員集まってくれたことは、嬉しい限りである。何しろ、副知事が観光物産課長、もう一人の副知事は財政課の係長、三役を務め退任した、保証協会会長が財政課の補佐という・・・とにかく、25年~26年前だからね・・・。」

と、その後、全員が県政での重鎮となり、活躍をしていることに目を細めていました。

 そこで、宿泊予定のホテルで、私たちは『情報交換会』と題して、M氏の帰りを待っていた。

―本音を覗かせる「裏話」―

raiken_1.jpg
懇親会「情報交換会」での乾杯

 懐かしく、久し振りのもの、初めてのもの、それぞれ挨拶を交わし、早速、懇親会「情報交換会」に入った。やはり、経済が中心で、経済危機に伴い、世界の、東南アジアの、日本の現況、将来に渡っての情報についてであり、全員、興味深く、真剣であった。

 間が空いたところで、私は率直に申し上げたことは、

「官僚出身者、天下りの流れを切るという、野党第一党の考え、状況を踏まえて、人事案件は慎重にすること・・・!あの日の出来事を許せない・・・!」

そして、

「日本人の心、日本の文化を損なう非道な事だ。最初から天下りの流れを切ることを決めているにも拘らず、委員会で考え方、意見を述べさせるということに対して、こんな非礼で、晒し者(さらしもの)にした行為は、許せない。根回し不足なのか、情報不足なのか、総理の対応にも問題であり、不信任に値することだ・・・!」

 と、私の思いを訴えた。

 すると、M氏は当時の裏話や、本音をチラーっと覗かせ、その時の遣り取りなど話された。あの時の行為には、間違いなく怒っていることが確認出来、私も通ずるものがありました。内容については、その日の出席者の「宝」として、封印したいと思います。

 本当に、楽しい有意義な一時であった。送り迎えは仲介者の県職OBがされ、ちゃっかり私も、”お出迎え”と”お見送り”をさせて頂きました。時間までの待合室では、県職OBのターミナルBの専務や、白山市の副市長も加わり、話に花が咲きました。

M氏が石川県奉職の2年間 1982年(昭和57年)~1984年(昭和59年)まで
(私は当時、旧河内村議会議長、石川県町村議会議長会会長、全国町村議会議長会副会長、及び、旧河内村長でした。)

2009/3/17 火曜日

「金沢市陸上競技協会」会長を辞任!

H21年3月7日(土)17:00~19:30

1.大島鎌吉賞授賞式 17:00

 ”大正15年、全国中学校大会の三段跳びで優勝。昭和7年、ロサンゼルスでのオリンピックで銅メダルなど、更に、昭和39年の東京オリンピックでは、日本選手団、団長などを歴任され、正に、金沢の生んだスポーツ界(陸上)の偉人であることから、その偉業を称えるため、平成14年に金沢市陸上競技協会会長賞としての「大島鎌吉賞」が、銘打たれたものです。

riku_11.jpg
会長挨拶

以来、金沢市内の小中学生の中で、全国大会出場など、優秀な成績を収めた者(選手)を毎年、表彰しております。

 今年は、小学生7名、中学生7名の計14名で、内容として優秀賞が3名、努力賞が4名のそれぞれ小中学生同数の選手が、表彰されました。
 引き続いて、平成20年度、指導者表彰式が挙行され、今年は2名の指導者が対象となった。

riku_2.jpg  riku_3.jpg
各自に授与                          小・中代表謝辞

 一人は、指導者として、長く陸上教室の室長と、全国大会の選手団の総監督等を歴任された、金沢市陸協、副会長で市議会議員であり、もう一人は、指導者として、全国大会入賞選手の育成及び、各種大会の審判員として活躍されている、市立中学校の教諭でありました。

riku_4.jpg
受賞者と集合写真

2.平成20年度総会 17:30

 慌しく、平成20年度の総会が開催され、事業報告、決算報告並びに、平成21年度の事業方針、予算案等を何れも、原案通りに可決決定をした。
特に、各大会での成績発表があり、それぞれ優秀選手を称えた。

 最後に、私に挨拶の機会を得た。勿論、昨年、今期で辞する旨を、理事長に伝えてあることからであった。

riku_5.jpg
総会で挨拶

「今年の創立60周年式典を節目として、会長を辞し、後進に譲りたい・・・。今後、後任の選考をよろしくお願い致します。・・・。」という内容のもので、戸惑いもあったようだが、了承された。

3.創立60周年記念式典及び祝賀会 18:00

 前回の周年行事以降に、活躍された功労者(物故者)を偲び、全員で黙祷した後に、開会をした。

riku_6.jpg
創立60周年記念式典で式辞

会長(私)の式辞に引き続いて、表彰式が行われ、功労者表彰並びに感謝状贈呈があり、協力団体、企業、並びに審判員等の功労者多数に、それぞれ手渡された。

riku_7.jpg  riku_8.jpg
功労者表彰                      功労者表彰

 尚、日本舞踊の「祝儀」としての、舞の披露があり、祝宴に入った。

4.辞任と責任

 主要役員や出席者から声を掛けられ、問われた。

「突然の会長の辞任に、徒、驚いた・・・。一体、どうして、何があったのか・・・?」

「次の方(後任)は、私たちの納得出来る方を推して頂きたい・・・。よろしくお願い致します・・・。」という内容のものでした。

 自分には、「心の整理」が出来ていても、後任には、各位の心配するもので無いように諮り、「責任」を持って、執行部と相談して、決めなければならないと思いました。

 私の残任期間から、新しい会長の選出をする方法と、残任期間を「副会長」の誰かに会長として務めて貰い、明年の任期から、「新会長」を選出するかを決めなければならない。

 又、「新会長」は、経済人を推したいと、私は思っております。

 

2009/3/3 火曜日

足掛け20年の悲願にピリオド”神谷内インターの開通が早まる見通しが…!” 「文化財家屋の移設(曳き方)に注視」

1.関係者の思いの結集

1)道路管理者(国交省)の変心

 従来、道路事業(主要)は、路線の認定に当たって、形式的な機関決定に基づくものが多く、然も、全国展開でのプロセスを、一様に扱う方針を貫いていたようです。勿論、特定の箇所で、躊躇し、少しでも方針の転換をすることは、全国の各箇所に影響を及ぼすことを、懸念してのもので、理解はしていた。 

 しかし、最近になり、道路に対する(公共事業の中で特に)世情の注目度もあり、「エリアの声」や「地域の活用し易い愛される道路」にと、しっかり、耳を傾け、対応をする柔軟な方向になった。

 その延長での神谷内インターの未処理箇所であったことから、私は管理者側と地権者側との「考え方や思いの心」の溝を埋めるためのカウンセラー、ある時はコーディネーターと成って、真摯に仲立ちをした。

 そこで、一つ一つ諸課題について、真剣に問題を提起し、方向性を見出すことによって、管理者側の誠意が少しづつ、地権者側に理解して貰えるようになった。従って、それには、時間と、何回も繰り返して会う(回数)必要があった。「合意」に至ったことは「地権者側の思い」に対して、「誠心誠意」臨み、解決に向けた管理者側の並々ならぬ決意が通じたことにある。

 それは、道路管理者側の変心に外ならない。

2)関係官庁(石川県、金沢市)の協力

 この神谷内インターの取付道路については、石川県は四車線の主要道路として位置付けをし、金沢市は、都市計画道路として未処理地域まで、既に完成をしている。

 石川県は、長い年月に至って、様々な方の要望や意見に対応し、苦慮をしていた。一時には、過激な行動に迫まれ、その方向性を強いられていた。無論、金沢市も同様であったが、地域とのコンセンサスと、地権者側とのパイプ役、周辺整備等に 
ついて、管理者側の意向を汲んで、真摯に取り組んでいた。

 石川県は、風致地区内での事業推進に、金沢市は周辺整備等調整にと、汗をかき、しっかりとその役割を果たしてくれたもので「合意」は、その協力のお陰でもあった。

3)求められる交通安全

 確かに、生活環境(開通後)を考えると、不安を隠すことができない。騒音、振動、日当たり、風向き、法面保護、出入口等(国交省)、町会と、周辺地域との取付道路のアクセス等(金沢市)の諸課題について、解決し、安全なものにして貰いたいと思う。

 取り分け「交通安全」に対して、道路管理者は、公安委員会等の理解と協力の基で、既に完成している市道(都市計画道路)が生活道路(側道が無い)であり、そのエリアを含めての速度制限や、信号機の設置等をする協議が、地域とされるだろう。

4)通勤エリアと地域住民の熱意(駅周辺、県庁周辺、湊地域、森山・鳴和・森本地区等)

 もともと、地域とは、インター周辺のエリアと捉えていた。しかし、その範囲、影響力の大きさ(広さ)は限りなく、中に入るにつれて解ってきた。未整備の間は、御所と森本インターに、皺寄せが行き、通勤範囲では、鞍月・駅西・諸江・湊地区等まで広がり、このインターの開通を楽しみにしている。

 その開通への思いは、地域住民の期待と熱意は勿論、広範囲の市民が待ちに待っていることを確信した。

 本線の開通にあたり、利用者にとっては、利便性が高まり、更に経済的発展に繋がり、大きな役割を果たすことは間違いないと思う。徒、地域住民にとっては、喜びの反面、開通後の生活環境に不安を残すこともある。

5)文化財の環境保全と地権者の思い

 固より、地権者は、永住の地として来たこの場所より、離れることに躊躇した。しかし、今日までの功績、地域での立場を鑑み、道路計画に賛同し、軈て関係機関の役員に祭り上げられた。そして、関係者と行動を共にして来た。いや、寧ろ、積極的に事業推進に取り組んできたという。

 ところが、その折の折衝と交渉段階で、不信感を抱かせる行為が、直轄事業を助力する、窓口の立場の方と生じ、結果は騙された形となり、地権者にとっては、決して許されるものではなかった。その後、誠意ある説明も解決も無いまま、溝が深まることとなった。

 当時は、”動きたくない”ことから、文化財の指定に対する申請があるという風評には、些か誤解があり、この際、真意を伝えたいと思います。

 文化財の所有者(地権者)は、却って登録には、風致と規制が重なる恐れと、使用、改修の制約を懸念して、消極的だったようです。
 この家屋は、けやき材を20年乾燥させて建てた貴重な物件で、「保存家屋」としての位置付けでした。
登録に関し、移転のためには、有利であるとされるなど、直轄事業の窓口担当者などの計らいのようです・・・。

 文化財指定家屋になってからは、先祖が100年余前から、永住の地として来たこの家屋の保護をすることが自分の役割であると、諭してなのか、本当に真剣に勉強し、対応していたように思われた。 他地域の移転は、ほぼ不可能であると私は理解し、隣接地への移設(曳き方)一本に絞って臨んだ。 過去に崩れた跡地には、近づきたくないという思いは、四車線を認めず、二車線なら合意するというものでした。それからの二年有余年の歳月、私と地権者にとっての交誼は、生涯忘れることの出来ない、濃い中身のものでした。

 さて、一昨年10月25日、「四車線合意」を受けて、文化財家屋の移設と環境に対する保護、生活の安全性の確保については、私は、道路管理者側と地権者側の間にたって、約束したことを必ず守り、その責任を果たしたい。

今も、一週間に一度のペースで、私は、現地に立っています。

2.二つの焦点

1)今春に移設完了

 文化財家屋(大規模で複雑)の移設(曳き方)の見込みとしては、充分な期間を要し、更に、葉緑樹の移植の時機を考慮することから、今春になるようだ。

 しかし、地権者の希望の調査や移植等もあるようですが、全体の流れに関しての未処理地区間の本工事については、着手しても、並行して行えることから、差支えなく、施行出来るようです。

2)埋蔵文化財調査

 神谷内インターの事業に入るにあたり、埋文調査を順次行って来たものです。その実績と仮堀等による間近の調査結果により、未処理地(100有年前の宅地は、切土による施行のようです。)の埋文調査は、専門家(県埋文事務所)の判断では、不必要のようです。この正式な報告により、大幅な工期の短縮が見込まれ、早期開通に向けて、更に、弾みがつきました。

3.期待と至福の境地

1)交通の流れ
 先に述べた通り、本事業の開通に伴い、渋滞を余儀なくされる箇所、御所や森本インター等のように、緩和される所など様々である。県内の南部と北部との距離間を更に縮め、山側環状と国道8号線バイパス、北陸道とのアクセス、地区、地域では、駅、県庁、湊などの利便性を高め、通勤範囲も広がり、経済効果は抜群に求められると思います。

 しかし、道路沿線の生活道路としている箇所には、今日までの交通量の少ない使用の仕方と打って変わり、激しい往来に悩まされ、更に、開通後にその解決策(課題)が更に、迫られることになるだろう。

2)至福の境地
 歴史に残る大偉業を遣り遂げたという満足感は立場によっては、様々と云えるが、確かなことは、それぞれの責任に対する安堵感と喜びがあるように見える。唯一、地権者にも、他関係者と違う安堵感があるようで、しかも、もし、開通の見通しが早まっても、未だ、周辺の未整備と家屋の整備中に拘り、不安を隠し切れるものではないと思う。

 しかし、そのような脳中でも、方向が見え、再び平和が来ることを心から臨み、地域の一員として、正常な、昔に戻りたいと願うのは、極、自然なことではないでしょうか。

2009/3/2 月曜日

2009年3月の言葉

庭訓三月(ていきんさんげつ)  ―故事成語―
 「庭訓」とは、論語に記されている孔子とその子供(孔鯉)との故事で、家庭教育や家庭での親の教えの意。
寺子屋では、「庭訓往来」という本が教科書として広く用いられた。 

 「庭訓三月」とは、庭訓往来を学び始めても三月には飽きてしまうことから飽きやすくて長続きしないということ。

 「一年の計は元旦に在り」と思って出発しても、三月ともなればなかなか長続きできない状態もある。「庭訓三月」であってはいけない。

                         平成21年3月1日

(C) Copy right 2008 田中ひろと事務所 All right reserved.