2009/7/23 木曜日

スタンダード~未だに分らない「公務員棒給」と「議員定足数」

 私は、少しの期間「国家公務員」として、奉職したこと、現在までの間、政治生活35年目の経験を以ても、未だに分からないのが、「公務員棒給」と「議員定足数」についてである。

【公務員棒給】

 先については、人事院勧告を受けて、国会及び地方議会(県市町村)のそれぞれで議決をして、棒給を改正して来た。私たちは、中立公正で高踏な機関である人事院の存在に対して、絶対であると思っていた。

 勿論、随分以前までのことであり、以来、この時機に何故・・・?この勧告は、何をどのように、どこを基準にしてのものなのか、いつも疑念を持っていた。
時々、説明を求めたが、確かな解答も、私を納得させてくれる「フォロー」が無いままに、今日に至っている。

 その本意は、「都会と地方」、「大企業と中小企業」、「職種の男女」の格差等、そのベースが、どこにあるのか全く分からない・・・。

【議員定足数】

 昨今、「時代の流れ」と「財政難」等によって、「議員定足数」の減員をすることが話題とされている。国会議員や、地方議員に該当し、今後、更に論議が交わされることに為ると思います。

 さて、先の定例会で、県議会議員46名を、3名減の43名とする改正案が、議決された。私は、その内容も、経緯も、結果をも納得できず、採決時に除斥をした。
1年前には、5~6名減と想定していたが、各会派、特に、多数派を占める自民党の意見が、4名減と落ち着き、示されたので、不本意乍ら、同調した。

 そして、各自の選挙事情、会派の都合等、自分本位の意見、考え方が先行し、入り乱れ、激しく競い合い、県民目線での発言が、その間、かけらもなかったように思われた。

 私は予てから、「議員定足数」について、自分の意見がある。

1)金沢市及び野々市町は、中核都市及び、成熟し、整備された町であり、国や県に関わることより、市や町に依存し、関わるウェートが極めて高く、同時に市町会議員の役割が、極めて、重要視されている。

 それに比して、郡部では、県議の立場が重く、地域での期待と一つ一つの成果には、住民の意思があり、遣り甲斐もあることから、人口の減少だけでは、判断し兼ねるものである。

 従って、過疎地域の人口減に伴っての減員には、納得出来ない。
少なくとも、4減と一時は決まり、金沢2、能登1、加賀1と為ることを、心から望んでいましたので、私は、気持ちの整理が付かないために、採決に至らなかった。

 2)次に、議員の「法定定足数」という言葉が、能く出てくる。
「法定定足数」から下回っていることから、もう減員する必要が無いということを・・・。

 さて、それでは、「法定定足数」とは、一体全体”何時”、”どんな風に”、”どんな根拠で”決められたものか、究明することなくこの言葉が能く出てくる。

 又、制定された当時から、今日に至るまでには、大きな変化を遂げている。
「自治体市町村の配置や仕組み」、「交通のアクセス」、「メディアの数やネットワーク」、「コンピュータやI.Tシステムの技術」、「男女共同参画」、「人口の流れと高齢化社会」、「人々の心とライフラインの変化」、「何よりも、世界の一員として、更に国際社会への意識」等、総合的に生活環境が、こんなに変わっても、「議員定足数」は、何故、当時制定された「法定定足数」なのか、大いに疑念を感じるものである。

 今一度、現在のニーズに合った「法定定足数」を国、県、市町村など如に、改めて制定することを望みます。

2009/7/7 火曜日

スタンダード~「しらやまさん」と「旧鶴来町」の行方

【北陸鉄道石川線の一区間の廃止】

 北陸鉄道は、年間赤字分の補填の約800万円を白山市に求めたが、市は、財政的に厳しい折、困難であると解答したため、平成21年10月末日をもって廃止する方針を提示した。
 その区間は、石川線の鶴来駅から加賀一の宮駅の2.1kmであり、昭和47年9月に白菊町駅から野町駅の0.8km、続いて昭和62年4月に加賀一の宮駅から白山下駅の16.8kmを廃止して以来のことである。

正に、要因は、国を初め公共機関の財政不足によって行財政改革を推進する中、平成の大合併に伴い、地域の声が届かない等、地方にとって脆弱な財政基盤を強いられ、更に、100年に一度の経済危機が追い討ちを掛ける結果となったからです。

 さて、石川総線の改革の内、石川線に関わるものは、大正4年6月 鶴来~新野々市(現、新西金沢駅)間を石川鉄道として開設、北陸鉄道の前身である金沢電気軌道は、大正11年10月に西金沢駅(後の白菊町駅)~新野々市駅(現、新西金沢駅)間を電化し運転開始、大正12年5月に石川鉄道の区間を金沢電気軌道に譲渡、大正15年2月に金名鉄道として白山下~加賀広瀬間の営業を開始、昭和2年6月には、加賀広瀬~神社前(現在の加賀一の宮)間の開通、同年12月に神社前~鶴来町停車場間の営業開始に伴い、石川線と接続する。昭和4年3月に鶴来町停車場~神社前間が金沢電気軌道に譲渡される。

 昭和11年12月に神社前停車場から『加賀一の宮駅』と改称し国家統制から北陸合同電気に統合され、次に交通部門が分離され、昭和17年1月に旧北陸鉄道が設立された。

 平成18年10月に戦時統合により旧北陸鉄道を含む7社が合併し、北陸鉄道が設立された。

 以来、60有余年、地域の公共交通機関として愛され、時間的精度と安心、安全の観点と、大量輸送機関の一環で重要な幹線として、不可欠なものと位置付けされ、今日に至りました。

しかし、利益を追求する民間企業にとって時代のニーズや白山麓地域の人口の減少及び生活環境の著しい変化に対応出来なかったもので、近年は、一部分、行政機関の支援の基で今日までその責任を果たして来たものです。

 今般、昭和47年9月の白菊町~野町間と昭和62年4月の白山下~加賀一の宮間の廃止に続いて、北陸鉄道は22年ぶりに区間の鶴来駅~加賀一の宮駅間の廃止を決定した。

【文化財に値する加賀一の宮駅舎】

 北陸鉄道になる以前の物件であるため、資料が不足している。
現在の建物は、昭和15年頃に建設された、「厳さと特徴」のある木造平屋建てのもので、保存に値する。

【国道157号鶴来バイパスと橋梁2基】

 昭和58年に白山市(旧鶴来町)安養寺町から、白山町間の二車線が供用され、当時、四車線の用地が確保されているのも拘らず、現在に至っても交通量の増加が見込めない事からそのままの状況で活用されている。

又、能美市(旧辰口)和佐谷地区を挟んで『山上郷大橋』長さ241,0mと『一の宮大橋』長さ350,2mの二基が昭和57年に完成している。

【道の駅『しらやまさん』】

 平成10年4月に道の駅『しらやまさん』が日本の三名山の『白山』と全国3000社の本宮『白山比咩神社』の名所に因んで『しらやまさん』と銘打って供用開始された。

地域との共有、地元自治体との協調の精神で、休憩所、W.C、案内所、食堂、物産販売店等が、諸条件に基づいて、当初計画が勧められ、運営されてきた。

 昨今、幾多の変更が生じ、現在、「道の駅」としての運営そのものの見直しが検討されている。

【県道六線が集中する旧鶴来町】

 白山市(旧鶴来町)鶴来町には手取川に沿って『国道157号鶴来バイパス』が縦断していて、『一般県道 野々市・鶴来線』と『一般県道 鶴来・水島・美川線』とともに、北から南へ三線が、平行してある。
 
 更に、『主要地方道、金沢・鶴来線』が金沢市内から坂尻を通り、鶴来中心部の北國銀行鶴来支店を経由して天狗橋までと、白山市(旧松任市)剣崎方面から新村病院前を経由して大国町入口までの『一般県道松任鶴来線』と、白山町から広瀬経由で旧鳥越村を通り小松市までの『主要地方道小松・鳥越・鶴来線』と、能美市(旧辰口町)を通り、天狗橋までの『主要地方道小松・鶴来線』の四線を合わせて七線が在り、何れも主要な路線として有効に活用されている。

【和佐谷橋】

 和佐谷地区は、時代とともに変遷し、山上村から辰口町に、現在、能美市となり、市の最南部に位置する小さな山あいの集落です。

 旧来から手取川を挟んで向い側の白山市鶴来町(旧鶴来町)に生活圏を委ね、ライフラインは勿論、商業関係とも深く、今日まで、隣の行政機関である鶴来町立小学校や同中学校で子ども達は学び、現在も続いている。

それには、手取川を渡る橋が必要不可欠であり、幾多の困難を経て、技術の向上に伴ない、つり橋が架設され、当時は、無論、車輌が通行可でした。

 現在の橋梁は、昭和39年に架設され、長さ148,3m、幅2,5mで、国道157号鶴来バイパスの供用ともに老朽化して、歩道橋となっている。

加賀一の宮駅に纏わる展望

 さて、今後は、次項を注目し、関係者はその方向を誤ることなく、正しき判断と答えを出して、その責任を果さなければならない。

1.道の駅『しらやまさん』の新たな運営
2.白山比咩神社『正面鳥居前の広場』の整備
3.『加賀一の宮駅舎』の保存と活用
4.『石川線跡地』遊歩道等の整備
5.『和佐谷橋』の架けかえ

2009/7/2 木曜日

7月の言葉

 明  珠  在  掌  
 (めいしゅたなごころにあり)        
                                    
                  -碧巌録- 
  「明珠」とは、自分の中にある宝のことで、
  人間が誰でも平等にもっているものをいう。
  
  これを磨かなければ真の自分の姿が
  見出せないのである。
   従って、大いに努力練磨して、
  自分の向上に努めなければならない。
 

平成二十一年七月一日

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