2010/3/31 水曜日

3月27日(土)待望の神谷内ICが開通した

 国道159号金沢東部環状道路、神谷内IC開通式が、去る平成22年3月27日(土)に執り行われた。開通までの道程には、実に、20年余りの歳月が費やされ、更に平成18年4月15日の本線の開通から4年後の事でした。

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「県関係者」と式典前に懇談

 式典には、夫々の立場での慶びの笑顔が、満場に溢れていた。当日は、風こそ冷たかったが、天候に恵まれ、主催の国交省関係者に、県、市、地権者、施工関係者の代表に、国、県、市議会の関係者であった。地権者全員の招待は恒例に基づいて、無かった。

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神谷内インター本線より金沢市都市計画道路「千木~神谷内線」への取付道路

 この開通までの夫々の想いは、一様では無かった。長い歴史の中では、立場が違っても、本当に多くの関係者の尽力の積み重ねと、努力の賜物で在り、既に、故人と為られた方、病魔に侵されている方、役職や窓口担当が変わり、「リタイヤ」している方、地権者の世代交代など、今こそ、振り返らなければならない。

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神谷内インター住居地より本線に向けて
  (住居地からの側道)   (施主の国交省施工分と金沢市  
                           都計線との道路境界)

 正に、出席者の顔触れは、「現職」(歴史の知らない方、今、その立場に就いている方)地域に馴染まないものであったことから、可笑しな感じがした。

 今、はっきり言えることは、”理解の得られなかった地権者に対して、法的手段「代執行」を執った場合には、未だこの日(開通)が無い”と確信した。そこには、蔵でも納屋でも無い、現実に、未解決の民家が在り、文化財の建築物に人が住んでいる建物(住居)であったからです。

恐らく、法的執行では、先が見えない事で、強制については、人道的に、許されないと私は思った。

 さて、協力(合意)しなかった地権者を、”一方的に悪者”呼ばわり”をしていた節が在った”、が、しかし、仲介に入ってから風説と違って、分かったことが「随分」あった。

頭書は「賛成していた」、「促進協の役員であった」等と牽制し、「途中で裏切りが在り」、「後の説明もフォローも無し」で、前に進み、「将来人口が減り、交通量も減少するから、二車線で先ず開通を」に一切耳を貸さず、「交通量増大での騒音と振動等による地域の公害」を心配する事を、無視し、「自生草(木)の保護や水害、並びに土砂災害を不安」に思うことに、変人(偏人)扱いをして来たのは、一体なんであったのだろうか・・・。

  私は、その時まで、一切、交誼のなかった方の「門を叩き」、真心を持って接した。
会って話した回数は60数回で、延べ160時間以上、又、手紙、メール、電話のやり取りでは、冊子3冊分以上、「一つ一つ、心配されている事等に対策を示し”、「心の壁」を少しずつ解き続けた・・・。移転先の地質調査(土砂崩れの形跡有り)、風致地区の解除等、防止や対策等一つ一つでした。

そして、「合意」に辿り着いた。

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四車線中央の赤白マークの位置より山側まで
移転(曳き方)した文化財建物(工事中)

 しかし、地権者は完全に理解され合意したものでは無く、「公害」や「災害」に不安を残しつつも、”止むを得ず”認め、協力(合意)することになったものです。従って、私は、”生涯貴家を守ります。いつまでも交誼させて下さい。「私の一方的な約束」を勝手に、公言口約してのものでした。

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道路幅「拡張」のため石塀を取壊し、協力した建築物

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速やかに側道が利用出来るように、幹線への
出口を2車線に、入口を1車線に(3車線)

この日の開通までには、毎週一度(月に2度以上)の割合で、私は、現状の変化と約束事の遂行を確認するために、現地に立っていました。

2010/3/25 木曜日

「言論の自由」の履き違い(民主党副幹事長の解任劇)

 今、社会生活の中で注視する事は、各種の団体や企業や政党や町会並びに、家族等の組織を構成する上に於いて、「内部の意思統一」を為ることが不可欠と云うことです。

内部での考え方や、意見の食い違いは、多分にある。従って、内部での発言や議論を阻害無く、大いに為ることに対しては、正に之を「言論の自由」と云う。

 しかし乍ら、民主党の副幹事長の一人は、役職では、幹事長を補佐し、党を盛り上げる立場に在り、直接上司に当たる方を、批判すること、然も、外向きで云うことでは、好ましくなく、筋違いと云える。(所詮、コップの内での争いである。)少なくとも、内部に於いて、真に汗を掻き、努力をしている姿勢を”国民に伝わらなくとも”党内の仲間に認められていなければ為らない。

 今日まで、注目度の低かった方が、「一つの発言」で誰かに煽られて、脚光を浴び、更に調子に乗りすぎて終った傾向にあるようだ。

大切なことは、”世論の声”を確かに「キャッチ」し、民主党の為に懸命に努力しても、何ら変わらなかった場合には、”立場を離れ”、”役職を辞して”、一議員として、外向きの発言をすることである。

 まさに、彼の言動は、「天に唾する」もので在り、組織を構成する上に立っては、”民主主義”にも、”言論の自由”にも、一定の「ルール」や、「筋道」があることを自覚すべきである。

この件に限って、内部の事情や、日頃からの彼の言動(実働)の範囲を掌握しないものが、”物を申し”、”騒ぎ過ぎ”のようだ。

 ひょっとしたら、世情の敏感な反応を、彼は、計算の内であったかもしれない・・・(注目を浴び、地元での選挙を戦い易くするため)
徒、”厳重注意”、又は”役職停止”の処分では無く、「解任」を為るに至った理由は、余程の事(日頃の言動)で在ると理解する必要がある。

 尚、3月23日には、解任撤回としたことで、組織が軽んじられたり、更に、無責任な者に、勝手な事を云う口実を与えたようだ。

2010/3/4 木曜日

「景気浮揚に水を注す」・「庚の寅年で得た私の仕合わせ・・・!」

【景気浮揚に水を注す】

100年に一度の経済危機と、誰しもが口では示すものの、言動が伴わない現状を歯痒く感じている。正に、正義感を質すかのように見えても、各界、各層にとって、「我田引水」、「党利党略」、「波利派略」で、結局、”自分主義”に過ぎないようだ。 そこで、次のように要因をあげてみました。

一、総理と与党幹事長の資金問題————-p2

ニ、素早いマニフェストの訂正——————-p2

三、負の財産と地方との一体化—————–p2

四、朝青龍の引退———————————-p3

五、トヨタのリコール——————————–p3

【庚(かのえ)の寅年で得た私の仕合わせ・・・!】

今や、政治不信、経済の見通し、将来が見えないことから、国民は生活不安を感じ、心が荒(すさ)み、萎縮していることから、財布の紐も固く、デフレ傾向の風潮に、煽りを掛ける結果となっている。 直ちに、私は、国民一人一人の身近な所に、細やかなものであっても、仕合わせを見付け、プラス志向を持って、流れを替え、少しでも温かい風を吹かして頂く事が肝要かと思われる。

一、新春研修会

ニ、警察署の統合庁署の位置

三、能登の公共料金

四、撤退跡地への執念

五、大学協定から、経済交流へ

六、海外からの声「エコ起業」

七、「コンクリートから人へ」

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一、総理と与党幹事長の資金問題

「政治と金」の問題が、また“クローズアップ”された。

”この時に・・・!”と野党は責め立てたが、結局、”政治不信から政治離れに拍車を掛けたことに過ぎず、与党の支持率が下がっても、野党の支持率を上げるべき、跳ね還っていない。

所詮、”自民党時代からの継続である”とか、”前政権時代と一緒や”と云ったように、4割の国民が、政治に嫌気を注して終わった。

私自身、先の「ブログ」で記述したように、結果が想定出来、又、野党の攻め方にはガッカリした。

景気対策や、重要案件、社会問題が山積みされているこの時機に、反って景気に対して、足を引っ張り、実りの無い、国会のスタートであると指摘をしたい。
国際情勢や、経済動向、そして、「国民の心」を捉えられない野党に、真に悲観をした。

ニ、素早いマニフェストの訂正

「葵の紋のように、マニフェストを掲げての言動」に、民主党には”人間の弱さ”と、”深みの成さ”を感じた。次の事から、「素早くマニフェストを訂正」し、国民に対して、真摯に真実(現実)を語り、詫びる事であった。

先ず、マニフェストを作り上げた時機を鑑みると、野党の立場であり、残念乍ら、総ての正確な情報をキャッチしていなかった事…。又、資料も、中身の濃い詳細なデータが不足し、更に、税収は、約46兆円を見込んでいる頃のものであった。

而も、昨年8月の総選挙時には、”40兆円を割るかも知れない”との想定されていた事が、現実に、昨年末には37兆余円にと、減収されることになった。

この流れ(現実)を早い時機に認め、何もマニフェストを其ち退けにしたり、棚上げ”をするのでは無く、内容を段階的に、順番を付けて、プロセスを示し、更に、大きな食い違いのあるものに対しては、「方向転換や訂正」をして、参議院選で国民に問うことが大切である。

今、怠ったため、先が見えなく、景気に悪影響を及ぼしている。

三、負の財産と地方との一体化

半世紀以上、続いた先の政権からの雁字搦めの予算(事業)の「骨格、システム」を礎にして、厳正に仕分けをしても、上っ面での無駄を除すことに為って終い、限界がある。

「革命」や「維新」と位置付けるならば、国も地方も、総てを解体をして、一から遣り直すことである。

しかし、時間が無い・・・。選挙結果が出るや否や、直ちに予算を組み、責任を負わなければならない。”タイミング”、”時機”の悪さを、この現状をどれだけ歯痒く思った事か・・・。

地方では、”前政権との約束だ・・・”と、各界各層では、予算を減額されることに対し、言葉尻を掴み、“世界を知らない・・・。文化を知らない・・・。”とか、好き勝手を云い、予算復活を迫った・・・。

このような状況から察すると、前政権を略、引き継いだようなもので、経済危機や税減収の・・・正に、「負の財産」を背負ってのスタートであった。
地方では、議席数が多いことから、与党であると驕る。前政権党としての敗戦要因を分析し、冷静沈着に判断し、反省をする。地方でも、凡ゆることを見直すことである。

今や、経済危機と財政危機、将来不安を鑑みて、国と地方が一体化をして、国家・国民のため、何をしなければならないのか、与野党問わず、応える時であった。

四、朝青龍の引退

自ら引退を表明した朝青龍は、各界から離れ、ハワイで休養を目的に楽しんでいるが、暴力事件が尾を引いている現況にある。私は「横綱の品格」に関し、意見がある。

「日本の国技」として、位置付けをし、伝統と格式を重んじ、一定の筋を持って、貫かれて来られた事に敬意を表する。

徒、幕内の3分の1以上で、上位陣については、圧倒的に外国出身者が占めている事に、違和感を感ずる。

正に、国技が国際化し、グローバル化をしている現状を踏まえ、真に変わらなければならない。
この折に、”日本人出身力士の腑甲斐無さ”と、”協会の時代を捉える順応性と謙虚さ”の不足する事に悲しい思いを覚える。

以前、弟子を死に追い遣った事案や、薬物事件等で、引責辞任をした最高責任者の理事長が、未だ理事として残っている事には、先の政権で総理の椅子を投げ出した二人の方が、議員として議席を飾っていることと重なり、悪いイメージを受けている。真に哀しい・・・。

長く、続く事には、何かと弊害が生じると云う・・・が。朝青龍の引退で、景気回復に、僅か乍ら、陰りを煽っていることも見逃せないところだ…。

五、トヨタのリコール

今回の、経済危機に陥る以前までは、世界のトップを走り、日本の誇りとして、多額の納税者であるトヨタ自動車でも、この経済危機の煽りを受け、厳しく減車となっていた。

昨今、エコ車への行政支援等が在り、「新型プリウス」が”国民の心”を捉え、評判が良く、順調に伸び、売り上げでは、国内人気度がトップの座を仕留めるに至っていた。

今、世界でのトヨタ車のリコールの指摘、それは、部品については米産を使うことを条件に、貿易摩擦の解消をしたと云う節があり、今回も、米の企みでは無いかと感じ入る時機があった。而も、続いて、新型プリウス車の国内を中心でのリコール宣言があったことに、唖然として驚いた。

さて、安全、安心の観点と、トヨタ車の信頼回復のため、当然のことである。
徒、一日も早く立ち直り、「雇用と税収の安定」は、日本の第一人者であるトヨタ自動車でなければならないと確信している。

この機会に、挽回を目指してと、新型プリウスに期待を寄せていた矢先の事であり、そのショックを隠し切れない…
又、ニ~三年先に遠ざかったのか・・・と。嘆く許りです。「景気浮揚に水を注した」、以上の5件に恨めしい思いをし乍ら、「信頼を寄せる道」が見つかることを、只管、願う。

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一、新春研修会

平成22年2月2日、午後2時から「2の字」続きのご縁を頂いて、恒例の協同組合主催で、関係団体の共催及び後援の下に「新春研修会」を開催した。講師には、この時機に相応しい方を・・・と、熟慮した結果、元:キリンビール北陸支社長A氏に要請をすることにした。

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 現在、A氏は次頁のプロフィールのように、数々の役職を歴任され、経産省からの依頼で、首都圏の中小企業若手経営者を集め、経営塾を開いておられる。
一時間半の講演内容は、その経験と、自らの体験を生かされたもので、満場溢れる出席者(300名の聴講者)に感動を覚えさせた。

さて、冒頭に講師のA氏は、私との関係及び、私とキリンビールとの関係を話された。(先のブログの「キリンビール誘致劇」で記述したこと等・・・)勿論、21年前のアメリカ視察の際、”キリンビールの誘致が出来ないか”機内(飛行機)で、企画書を作成し、同行したA氏に要請したものです。

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1989年アメリカ産業視察にて集合写真(左:ワシントン、右:ディズニー)

早速、当時の実力者M社長を県内に迎えての、講演会等に全力をあげ、着実に計画を実行したお陰で、17年前にキリンビール北陸工場が開業された。

その一部の内容が披露され、結果は、「A氏と私」、「私とキリンビール」の経緯と真意を証明して頂いた形となった。

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主催者代表挨拶
(協)全国企業振興センター副理事長
経済産業団体連合後援会本部長

 

【A氏の運命を変えた・・・。】

当時、A氏は”キリンビールのエース”として活躍をし、「将来を嘱望されることは勿論、社長候補の一人として、業界誌等に取り上げられていた。地区支社長は、各地区の支社長より、4才程若く、小さな支社であっても抜擢され、A氏の将来は約束されていた。
その時点で、北陸支社内のビール容量は、8万kℓで、最少工場でも、10万kℓが必要だった。

1980年代は、バブルが崩壊する前の、高度成長時代であり、リゾート法の制定で、観光立県として、テーマパーク等、官民一体で整備促進を図り、5つの温泉郷誇る本県では、限り無い発展を想定していた。
「何故、北陸なのか・・・」一部役員の強力な反対等もあり、”新工場の開設には、前途多難を擁した。”が、M社長の一言。「A君が、10万kℓにすると約束をしている。遣らせて見たらどうだ・・・。」で、決まった。

この件、この事からA氏の運命が変わった・・・。

A氏は文字通りの頑張り屋で、目標の10万kℓに達成されたが、通常、3年前後の支社長の任期を5年5カ月間勤務する羽目となった。

その間、A氏を見込んでいた上司や上役にも変化が伴い、本流の流れに微妙なズレが生じ、結果は子会社「キリンビバレッジ」への異動であった。

A氏の性格から鑑みると、既に固まっている椅子よりも、遣り方次第では限りない発展的夢のある後項の方が、相応しいと思う。徒、ご本人に”北陸工場の誘致に些かでも、悔いがあれば、私は巻き込んだ責任がある。”と真に気になっています。

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「主催者席」(最前列)

 

【読めなかった県民性とドンの影響力】

隣の県では、小さな飲料水工場を誘致したことで、”ビールは○○を・・・とキャッチフレーズにして、公共機関と経済界が、一体になって、呼び掛け、地元産業として受け入れられている。

県内では、特に、金沢市でもビールの銘柄を指定しないで、店の出されるままにすると、隣県の影響のビールが、90%以上占めることになっている。

本県でのメリット、税収、雇用、産業の振興、金沢港の活用等、その波及効果は、想像を絶するものである。石川県や旧松任市でも、年月とともに、地元産業としての位置付けが薄れ、更に合併により、その意識が遠のいて行った結果となった。

特に、県都・金沢市では、地元産業としての後押しが、当時から現在まで微塵にも見られなかった。

之は熱心で、強いリーダーシップが欠けていることや、石川県民性の顕れであるように思われる。中でも、長い間、経済界のドンとして君臨していた会社や、No.2として補佐をし、売る方の最大商社が、キリンを取り扱っていない現状であった。(メインとしていない)

バブルが弾け、国民のニーズの変化や、長い不況により、県内に於いて、5箇所の温泉郷や飲食業界の不振を呼び、当然乍ら、「県民性と経済界のドン」と合わせて、その位置付けは安定的に、浮揚することがなかった。

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講演する講師先生

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「会場全景」 総勢300名 H22.2.2

【講演の主要内容】

「不況期に於ける経営者の構えと、マーケティング志向」”社員全員が顧客志向で経営を考える”をテーマ、又は、サブテーマとして進められた。

1つ目の経営者としての基本姿勢では、3つのココロ「情、心、志」や経営理念の重要性等を訴えられ、2つ目には、経営革新の重要性で、企業経営スタンスの変化等を捉えられ、3つ目では、ビジネスモデルの構築のビジネスプランの作成等、4つ目では、マーケティングについて、志向や発想の時代や、消費者志向及び、生き残る道等を説かれ、40分の熱弁を奮われた。

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「質問」経済産業団体連合後援会会長      後援会事務所事務長

 次に、パワーポイントで充分、備わった資料(データ)を活用しての説明があり、こんな資料まで本当に出して良いのか・・・と驚く許りの「貴重なデータ」を揃えて、50分間の、木目細やかで、真摯に分かり易い講演内容でした。

 尚、A氏は就任して間もなく、キリンビバレッジを東証一部上場をさせ、全国の飲料業界トップの地位にも就いた。

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「まとめ・謝辞」(協)全国企業振興センター理事長の県議

又、キリンビバレッジ、缶コーヒーFIREの起死回生での新生物語に対しては、大いに感銘したものです。社運を賭けた、其の宣伝開発費に、100億を掛けたと云うことに参加者は、徒、桁違いの額の大きさに驚く許りでした。

世界を相手に、必死に立ち向かい戦う姿勢の一端を聴講して、厳しい現実と照らし合わせて、参加者は”大いに参考になり、有意義な一時であった”と一同に喜ばれていた。

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二、警察署の統合庁署の位置

(県最高幹部より相談を受ける)
 平成21年9月、定例議会中に、県最高幹部より「相談がある」との連絡を受けた。私には、想定していた事と違って、意外だと思った。
“統合庁署の位置について、マスコミが予定地(A)を公表したが、地元市長の思いの予定地(B)と異なり、弱った状況になっている。位置決定は、県警本部長の所管であり、警察と地元の仲介をし、無難に納めて貰いたい・・・。”との相談依頼でした。

(県警への素直な願い)
早速、私は、県警の窓口幹部に会い、「財政との絡みと、予定地の広さの確保から鑑みて、(A)地に方向付けられたことに対しては、承知している。この時点で、是非、地元の意向を聞いて頂きたい・・・。その上で、予定地2箇所を土俵の上に載せて比較し、ベストな場所を決めて頂ければ・・・。どうぞ、市民感情を逆撫ですることのないように、お願い致します・・・。」と・・・!!

(地元市長の固い決意)
又、その足で、私は、地元市長にも会った。市長は、私の訪問を“(A)地への説得のためでは・・・。”と勘違いをしたのか・・・。「声を荒げ、体を揺すり」“これだけは、絶対譲れん・・・!”との応対に、私は、吃驚したが、直ぐ誤解をしていると察知し、“否、市長の考え方を確認をしに来た・・・のだ”と切り返した。そして、(B)地の地図上で位置確認と「何としてもこの位置にしたい・・・。」と云う、執念が伺われた。更に、市長は「何とか、お願いします。」と、私に要請された。

(副市長との連携確認)
市長より、副市長のK氏を窓口にすると聞かされ、以後、逐一連絡を密にすることを確認をした。尚、今後のプロセスを作り、着実に方向性を立てた。10月13日、事前に県警より、市側へ正式にアポがあり、訪問を受けた。「場所を白紙と云う事で、市側の推薦する予定地(B)地をお伺いしたい」との内容でした。副市長は、(B)地を提示した。

(市長への後ろ盾「市民の声」)
さて、「市民の声」「市民感情」と云い乍ら、まとまった形が見えて無いことから、この際、機会を作り、出席者が合致すれば、陳情することも視野に入れた、計画をしていた。
勿論、市側の同意の上であった。11月7日、合併前の「旧市内と旧町」の「市民と経済界」の4団体の代表による会合をもち、意見を開くことにした。全員一致して市長の考え方を支持し、行動を起こすことに、同調した。陳情書を私の事務所で作成し、4団体の代表者に、持ち回りで印鑑を捺印して貰った。11月17日、日程調整の上、市長と地元警察署長に要望することを決めた。

(条件提示)
11月9日、県警より、(B)地に対して市側への条件提示のための訪問を受けた。「予定する面積の平米」、「地権者の同意の期日」、「警察署跡地の処理法」、「今日までの諸々の要望の制限」等、列挙し、想定をしていたが、高いハードルであった。しかし、私は「即、全部、呑むように・・・!」と市側に対して、申し上げた。

(陳情と世間への公表)
11月17日の陳情の日、当局側からは、事前にプレスへの案内をしないことが分かったので、私が「プレス」2社に連絡を取った。市側の考え方と市民の声(4団体の代表)について、取材をして貰う必要性を痛感し、正確に世間には知らしめたいと思った。翌日の18日には朝刊で2社は記事にし、公表をすることができた。

(条件クリア)
11月末、副市長より“地権者全員の同意が貰えた”と連絡を受け、直ぐ、県警にその旨を伝えるように応えた。12月4日、県警より訪問を受け、「現状の報告」と「諸条件をパーフェクトに呑む」と云う事を市側から申し上げた。以後、内部の上申、議会調整等をクリアして、候補地が(B)地へと固まり、事務手続き等、速やかに取り計られることになった。

(最適地に、最良の統合庁署が・・・。)
年内に候補地は、(B)地に内定したが、尚も当局は、慎重に対応していた。新しい年を迎え、一月中旬に、某社が「素っ破抜いて」、(B)地に決定したと云う記事を載せたことで、世間に知らされた。
私は、結果として「県と市」そして、「県警」の三者が目的達成と納得の上「素晴らしい統合庁署」の計画に成った喜びを感じ、真に、私も安堵し、嬉しい限りでした。

2010/3/1 月曜日

2010年3月の言葉

 心に望み起らば 困窮したる時を
   思い出すべし 堪忍は無事長久の基
 怒は敵と思へ

     
           -東照公御遺訓-
人は、心に何かやりたいことができても、いざ実行となると、中々成就
することは難しい。
その為には、常々苦労には苦労を重ね、どんな時もこらえ我慢し、
堪忍袋の緒(ひも)はしっかりと諦めて努力する事が大事である。  

 ・東照公御遺訓・・・ 徳川家康が家臣に残した遺訓をまとめたもの

                           平成二十ニ年三月一日

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