2010/10/28 木曜日

「商工会とともに30有余年」

心からの祝意とお慶びを、申し上げます。誠に、お目出とうございます。

 さて、私が、商工会に関わったのは、昭和49年(1974)に、父から事業を引き継ぎ、翌年、昭和50年に、理事に就任して以来、今日まで、どの公職的な立場に成ろうとも、一貫して、商工会組織に拘り、携わって来たようです。

 昭和55年には、全国連で、全単商工会に、青年部を設立することを目指し、石川県商工連も例外では無く、私の所属する河内商工会でも青年部を結成するように、会長から依頼を受け、8月に設立をし、自ら、初代の青年部長に就いた。
尚、公職の方は、河内村議員に初当選(昭和50年)をし、引き続き、当時、2期目を迎えていた。

 昭和56年に、河内村議会議長に就任し、昭和58年(1983)旧松任市が、未だ商工会の時代に、一市三町四村の青年部長から、石川県商工会青年部連合会会長を遣るよう、熱心な要請を受け、県内全域に渡って、「意」が伝わり、同年3月に内定した。
同年の4月、議員選挙で3期目の当選を果し、議長に再任され、とんとん拍子に、5月には、石川県町村議会議長会会長に、就任した。もし、順序が逆だったら、決して実現しなかったと思われるように、石川県の商工会青年部と、町村議会議長会の会長を兼任することになった。
 県青連会長時代には、県内35商工会(35市町村)に於いて、夫々の地域の特長を生かし、その「まち」の顔づくり、その「むら」のスタイルの位置付けをすること、特に、“名産や名所”など、「一村一品」を見出し、 “むらおこし”運動を展開した。

 昭和58年、県会長から、北陸・中部・中日本地区と三段跳びで推され、全国町村議会議長会の副会長に就任した。同年には、秋の園遊会に、昭和天皇より、36歳にして招待を受けるという栄誉を得た。そして、翌年、河内村長に就任し、県青連会長と兼任することになった。

 昭和60年、県青連会長に再任され、全青連の常任相談役に就任し、翌年、春の観桜会に、中曽根総理から招待を受けた。更に、平成元年(1989)に、河内商工会会長に就任し、自治体の首長と経済団体トップを兼任することになった。

 平成11年4月、金沢選挙区より県議選に出馬し、初当選をしたことにより、結局、県議と商工会長とも兼任することとなった。平成15年には、全国の市町村合併(平成の大合併)推進に伴い、商工会組織も、同様にして進められ、県内商工会でも合併促進が、計られた。

 平成17年に、石川郡内の美川町・鶴来町・白山麓の5ヶ村と松任市の一市二町5村が、合併し「白山市」が、誕生した。先ず、先行する「意」で、準備を進めていたので、白山麓5村の商工会が同年に合併し、名称を「白山商工会」とした。
 其れまで準備委員会の委員長を仰せ付かった関係と、5つの商工会をまとめて来た実績により、初代の白山商工会会長に就任した。平成20年(2008)、見通しをつけ、会長を1期間で退き、現在、理事(相談役)を務めている。

 この間に、受賞したのは、「県連会長表彰」平成2年度、「全国連合会長表彰」平成8年度、「30周年役員功労賞」平成8年度、 「県知事表彰」平成10年度、 「中小企業庁長官表彰」平成11年度(1999)、等々、以上の通りです。

 今日まで、30年有余、商工会とともに、歩んで来た私にとって昨今の、商工会組織の危機的な状況に対して、心配をしております。特に合併を推進して来たことで、単商工会と会員が減少したことから脆弱になった基盤に対して、組織運営上、注視せざるを得ない。
 一つ提案したいことは、商工会議所とは、“中身や性質”が違うと云うことを、はっきりと区別し、「法の改正」など整備をする。そして、エリアが重なることを、認めて貰うことで、現在の会議所区域で存立する地域の振興会(既設)等をまとめ、単商工会として設立する等、位置付けをする。

 頑張ろう ・・・・・。
 頑張って欲しい。 長年携わり、永遠に商工会のファンとして ・・・・・。
 そして、応援したい ・・・・・。

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