2011/1/21 金曜日

8.今だから明かせる市長選の秘策

 平成22年11月28日(日)投票日の金沢市長選挙で、新人を支援し、勝利を勝ちとった。先のブログで記述した通りではあるが、何を隠そう、そこには、「緻密な計画性」と「冷静沈着な判断力」を加えた「巧みな戦略」があった。

【1)勝つための「行為と意味」 】
 勝つこととは、
①得票が上回り、事実上の勝利。
②僅差に追い込み流れを変えること。
の2つの「行為と意味」とした。10月中旬、市長候補者を同志の一人に絞り、方針に向けて動いた時は、目標としたのは②でした。

【2)絶対的な現職体制に、立ち向かうには…!】
(1).「ロコミ」による徹底した底辺拡張運動
 変革を求め、青年層や女性層に訴え、「ロコミ」によって、新人のマニフェストをアピールをし、輪を広げた。“一票の重みはどんな立場の人も皆同じである”
(2).「緻密な計画性」
 マスコミに悟られないように、又、表立つことは避けることにした。
その方が現職を既に推薦している団体、支持表明している企業、立場上、支援する個人の懐へ入り、支持を広げることがことが出来た。
(3)「冷静沈着な判断力」
 先ず、新人が求めたので私の身内を応援隊として送り込んだ。
 しかし、私の目録(作成し、仕上がっていた)も届けず、後援会や選挙事務所へは、決して顔を出さない。何故なら、中へ入らない事で、常に、「冷静沈着な判断力」を持ち、不足分を補なえるという強みがある。
(4)「巧みな戦略」
 最も効果のあるマニフェストの一点と、現職の弱点となる一点を「巧みな戦略」を持って、動いた。確かに、隣接の高齢な市長の逝去は追風となったようだ。そこで、アピールすることは、効きめのある新人の利点と、現職の弱点とした簡潔な2つの事で充分でした。
 先ず「食堂やレストラン」「理髪店」「スーパーや乗り物」等で、一人で訴え、2人で会話をし、扇動して、展開をし続けた。
(5)逆転(逆手)の発想
 水面下の各自での運動は、勿論、家内とともに、新人本人や夫人を同行して、顔を知って頂き、考え方を聞いて貰い、熱心にお願いを数日間展開した。
 尚、新人陣営に、大きな圧力が掛かり、一時、形勢が不穏になったが、直ぐに、逆転(逆手)の発想から、却って引き締めまり、勝つ意識が育まれ、壮絶な戦いへと変わった。
 又、アピールする材料が増えた「県都、金沢市は、ミャンマー軍事政権のような、選挙態勢で良いのか…」と思った事を・・・。

【 3)投票率の鍵(それは、油断では無く、正義だった)】
 予測した投票率は45%前後だった。
然も、50%以上でなければ、新人の勝利が無いと考えていた。しかし結果は、35%超であり、前回の低調な顔触れの時より、僅か8%超(約3万票)の伸率でした。
 それは、投票率を上げず、確実な体制で挑んだ現職側の戦略の通りで、「戦略的には、現職の勝ち」とされた。従って、決して油断したのでは無く、現職側の思い通りの戦略結果であった。
 低調な投票率で、新人が勝てたことは、当然、投票場に足を運べば、現職に投票する筈の方々が、多勢「巧みな戦略等が、浸透した」のか、新人に、投票したからである。
 正に、金沢市民の「正義感の証を示し、民主主義の勝利」であった。

総括
 今回の金沢市長選に於いて、山野之義氏が勝ったことで、以前から意欲のあった国会議員を初め、多数の方は「こんな筈では無かった・・・それなら、自分が出馬すれば当選できたのでは・・・残念」と思われたことと思います。

 しかし、勘違いをしてはなりません。
「この選挙は、山野之義氏だから勝てたのです。」山野氏は、現職側にとって“戦い難い”相手であったからで、有権者に余り知られていないことが極めて重要な「キーワード」となったものです。
 又、その上、1つ目に、一期議員を中心に支援する取り巻きに対しては、市民にとって新鮮に感じ、印象が良かった。2つ目に、高齢の隣接市長の逝去が追風となった。3つ目は“雁字搦めにした現職側の戦略に対しては、却って反発を招き「有権者の尊い心」まで支配をすることが出来なかったものです。

 更に、今回で現職は最後だろうと予測した方々にとっては、次のチャンスを狙っていたことから、山野氏の、次回に出馬をする環境は少なかった。
 正に、山野氏は、ワンチャンスをものにした“幸運の男”である。

 最後に、私は誰彼でなく、“山野之義同志であったから、全力で応援した”のです。

7.マスコミの「扇動」と国民の「連鎖反応」

 年末には、“暗いニュース”許りでは無く、“明るい、ホットなニュース”が、転がり込んで来た。
「タイガーマスク」「伊達直人」の登場で、施設に対して善意の寄付行為である。
 マスコミによって報道されると、全国に連鎖的に、「善意の輪」が広がり、次から次へと寄付行為がなされた。
 正に、日本人の習性と云う連鎖的な行為である。

 同時に「善意」と反し「悪意」にも連鎖があり、“人を殺して見たい・・・”とか、“有名になりたい、注目されたい”とか、多勢の中へ飛び込み、“無差別に、人を襲う”無差別殺人など…真似をする者が、現れる。
 「悪意」では無く「善意」の輪、今回の行為だけで無く、継続して、何か形で表し、組織されることを望みます。

6.ここに本当の「母がいた」しかし、無念である

 正月、早々、諸江地区の火事で、焼死者を出した。怪我人もいて、隣接宅に類焼もした。何よりも、子どもが四人いて、“仲の良い、理想家族”と評されていた。この家族にとっては、一瞬にして地獄となった。
 昨今、実の子であり乍ら「子育ての放棄」や「虐待」をする母親が増え、嫌なニュースばかりが目立っていた。しかし、取り残された我が子を救いに、火の中へ必死で、飛び込んだ母親は、“昔からの母の鏡であり、本物である”と思う。
 只、子どもに、覆い被さり、二人とも、無くなっていたことは、残念、無念で、悲しい事である。

5.今期の冬天候は、「ジンクス」でも「地球温暖化」でもない

 26年前、旧河内村長時代に、金沢セイモアスキー場を開設した。
以来、雪らしい雪、冬らしい冬は、シーズンを通して、全く無かった。
 開設当時は、“スキー場をオープンしたら、そのシーズンは、雪が降らない”と云う説が「ジンクス」とされていた。しかし、2年経っても、5年経っても、雪は正面に降らなかった。
 その内、「地球温暖化」と云う説が流れ、“CO2削減”をすることが社会問題となった。この26年間、師走中旬、年末、正月、連休(成人の日、憲国記念日)など、シーズンを通して、降雪に覆われる北陸の冬は、一度も無かった。
 今期は、正に、20年前のような以前に房った北陸の冬である。「ジンクス」「地球温暖化」と云う説は、何処へ行ったものか…。

4.まだまだ続くことを願う「亡父の後押し」

 “亡父の魂は、生きている。”
昨年の9月4日に逝去し、総ての仏事を、父の意を組み、真心を込めて、納めた。
 以来、“亡父の魂は、生きていて、「強運」”とされる様々なところで結果を出し、後押しがあるかのようである。既に、先のブログで記述してある通り、何もかもが、うまく行き、目的が適ったのです。

 新しい年を迎え、せめて四月の地方統一選挙まで続いて欲しい・・・・と願った。

吃驚するような吉運の「占いとクジ」
 昔から「辻占」は、3つ食べ、吉凶を占う材料となる短い文句を記した紙片を見る習慣がある。

一つ目は、「宝くじがあたる」(元朝式)
二つ目は、「頼み事、かなう」(河内宅)
三つ目は、「万事、思いのままになる」(額谷宅)

と云う正に、吉運でした。

 白山比咩神社の「御神くじ」は、“大吉”(地沢臨)でした。
“運勢向上の時であるから、何事も吉になるという威勢のいい時だ”

一.乗物を大速力で走るときには、危険予防ブレーキを忘れず。
二.幸運に向かう時は、峠を越せば下り坂になる事を覚悟せよ。
三.盛運の中に、後の備えをなすべき。
四.発展もよし、新計画もよしだが、今後(8ヶ月後)衰運が廻って来るから、其の時、如何に、切り抜けるかを、前以って考えるべき。
望みは、何事も通じる時だから努力せよ。
但し、相手がぐずついて遅れたり、体裁よく、一杯喰される事があるから注意。
欲深きは凶。

3.長男の厄払い「初老の儀」

 平成22年5月10日に満40歳になった長男・・・。
前厄の40歳になった年の10月~11月に厄払いをするのが通例とされる。
 しかし、9月4日に長男にとって祖父を亡くしたことから、翌年の2月5日に「初老の儀」を開催し、厄払いをする計画である。
 今年(2011年)には本厄、明年には後厄を迎える事になるが、真に、多くの皆様に厄を担いて貰い、元気で乗り越えられるよう、祈願する。

 長男からの「初老の儀」の招待状は、次の通りです。

 大寒の候、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
いつも温かいご指導、ご交誼を賜わり誠に有難うございます。
 さて、振り返って見ますと、“人生、毎日が駆け足”あっと云う間の四十年間でした。1970年(昭和45年) 5月10日に、当時石川郡河内村字福岡(現・白山市河内町福岡)で、父:田中博人、母:慶子の長男として生を受け、河内小中学校、県立錦丘高校、名古屋商科大学へと進み、北國新聞社、NTT関連会社と人生経験をし、現在、白山建設の経営に携わっております。
 尚、スポーツ関係では、小学校時代には、学童野球、中学校では軟式テニス、高校では陸上競技、大学ではアメリカンフットボールと、多種に渡ってクラブ活動等に従事し、励んで参りました。
 平成9年に大西家長女の和美と結婚し、二男一女(小六、小四、小一)に、恵まれ、平成22年度には、金沢市青年会議所の理事長を歴任し、多くの方々に支えられて、この一年間を恙無く努めることが出来ました。
 又、私が生まれて物心がついた頃には、父は既に実業家であり、政治家でした。河内村の議会議員、議長、村長、そして金沢市へ移転して、県議会議員と、三十六年間の存任期間が、物語っております。
 ところで、「初老」数え四十二歳(満四十歳)の祝(厄払い)とは、“中年期を過ぎて、高齢期にさしかかり、正に社会的地位が認め始められ、身体の変化が生じる年ごろに成るこの時期に、神仏に祈り災難を取り除く為に、周りの皆様と分かち合って厄を担いで貰う”と云う意味です。
 つきましては、昨年私は四十歳となりましたので「初老の儀」を計画致しました。
 どうぞ万障お繰り合わせの上、ご出席賜わりますようお願い申し上げます。

2.新春「写真撮影」ポスター用

 些か遅かれし、「ポスター」及び「リーフレット」用の写真撮影を1月10日(月)に、市内、写真館で行われた。
 4年前に比べると、一回りスリムになり、若返ったという評判であった。次に示す通りであり、今春の「ポスター」及び「リーフレット」用に使用する予定である。

01_027315.jpg   01_027270.jpg

1.2011年「平成23年」今年の一文字

審(つまびらか)

何事も最後まで、正しく、詳しく、丁寧に、更に責任を持ち、実を上げる。“その結果を注視する。”

グリーディー(貪欲) 

1.2011年「平成23年」今年の一文字
2.新春「写真撮影」ポスター用
3.長男の厄払い「初老の儀」
4.まだまだ続くことを願う「亡父の後押し」
5.今期の冬天候は、「ジンクス」でも「地球温暖化」でもない
6.ここに本当の「母がいた」しかし、無念である
7.マスコミの「扇動」と国民の「連鎖反応」
8.今だから明かせる市長選の秘策

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