8.今だから明かせる市長選の秘策
平成22年11月28日(日)投票日の金沢市長選挙で、新人を支援し、勝利を勝ちとった。先のブログで記述した通りではあるが、何を隠そう、そこには、「緻密な計画性」と「冷静沈着な判断力」を加えた「巧みな戦略」があった。
【1)勝つための「行為と意味」 】
勝つこととは、
①得票が上回り、事実上の勝利。
②僅差に追い込み流れを変えること。
の2つの「行為と意味」とした。10月中旬、市長候補者を同志の一人に絞り、方針に向けて動いた時は、目標としたのは②でした。
【2)絶対的な現職体制に、立ち向かうには…!】
(1).「ロコミ」による徹底した底辺拡張運動
変革を求め、青年層や女性層に訴え、「ロコミ」によって、新人のマニフェストをアピールをし、輪を広げた。“一票の重みはどんな立場の人も皆同じである”
(2).「緻密な計画性」
マスコミに悟られないように、又、表立つことは避けることにした。
その方が現職を既に推薦している団体、支持表明している企業、立場上、支援する個人の懐へ入り、支持を広げることがことが出来た。
(3)「冷静沈着な判断力」
先ず、新人が求めたので私の身内を応援隊として送り込んだ。
しかし、私の目録(作成し、仕上がっていた)も届けず、後援会や選挙事務所へは、決して顔を出さない。何故なら、中へ入らない事で、常に、「冷静沈着な判断力」を持ち、不足分を補なえるという強みがある。
(4)「巧みな戦略」
最も効果のあるマニフェストの一点と、現職の弱点となる一点を「巧みな戦略」を持って、動いた。確かに、隣接の高齢な市長の逝去は追風となったようだ。そこで、アピールすることは、効きめのある新人の利点と、現職の弱点とした簡潔な2つの事で充分でした。
先ず「食堂やレストラン」「理髪店」「スーパーや乗り物」等で、一人で訴え、2人で会話をし、扇動して、展開をし続けた。
(5)逆転(逆手)の発想
水面下の各自での運動は、勿論、家内とともに、新人本人や夫人を同行して、顔を知って頂き、考え方を聞いて貰い、熱心にお願いを数日間展開した。
尚、新人陣営に、大きな圧力が掛かり、一時、形勢が不穏になったが、直ぐに、逆転(逆手)の発想から、却って引き締めまり、勝つ意識が育まれ、壮絶な戦いへと変わった。
又、アピールする材料が増えた「県都、金沢市は、ミャンマー軍事政権のような、選挙態勢で良いのか…」と思った事を・・・。
【 3)投票率の鍵(それは、油断では無く、正義だった)】
予測した投票率は45%前後だった。
然も、50%以上でなければ、新人の勝利が無いと考えていた。しかし結果は、35%超であり、前回の低調な顔触れの時より、僅か8%超(約3万票)の伸率でした。
それは、投票率を上げず、確実な体制で挑んだ現職側の戦略の通りで、「戦略的には、現職の勝ち」とされた。従って、決して油断したのでは無く、現職側の思い通りの戦略結果であった。
低調な投票率で、新人が勝てたことは、当然、投票場に足を運べば、現職に投票する筈の方々が、多勢「巧みな戦略等が、浸透した」のか、新人に、投票したからである。
正に、金沢市民の「正義感の証を示し、民主主義の勝利」であった。
総括
今回の金沢市長選に於いて、山野之義氏が勝ったことで、以前から意欲のあった国会議員を初め、多数の方は「こんな筈では無かった・・・それなら、自分が出馬すれば当選できたのでは・・・残念」と思われたことと思います。しかし、勘違いをしてはなりません。
「この選挙は、山野之義氏だから勝てたのです。」山野氏は、現職側にとって“戦い難い”相手であったからで、有権者に余り知られていないことが極めて重要な「キーワード」となったものです。
又、その上、1つ目に、一期議員を中心に支援する取り巻きに対しては、市民にとって新鮮に感じ、印象が良かった。2つ目に、高齢の隣接市長の逝去が追風となった。3つ目は“雁字搦めにした現職側の戦略に対しては、却って反発を招き「有権者の尊い心」まで支配をすることが出来なかったものです。更に、今回で現職は最後だろうと予測した方々にとっては、次のチャンスを狙っていたことから、山野氏の、次回に出馬をする環境は少なかった。
正に、山野氏は、ワンチャンスをものにした“幸運の男”である。最後に、私は誰彼でなく、“山野之義同志であったから、全力で応援した”のです。