新年への強い願い
「政治の世界、政治をする者は、何故か自分を中心とし、常に脚光を浴び、世間の注目を的にしている。」
だから、自分に無いものを持ち、特に目立った者には、素直になれなく、自然に口走るは、「自分を想定し、自分の目線で、自分を基準に物を見てのもので、結果は罵る(ののし)ことになる。」
“何故憎まれ口をたたかれるのか”・・・漸(ようや)くにして分かったような気がする。
彼(か)の方(かた)の作為で、行為に扇動された節がある。勿論自分に利害が直接あったからである。癌とされる一方(ひとかた)は、この世界から退(しりぞ)かれた。
片棒(かたぼう)をかついでいた片一方は、大きな背景の下に、君臨しているかのようです。この余波が根うわさとして当たり前のように残っている・・・から不思議である。
正に恥ずかしく、嘆(なげ)かわしいことである。私を含めて、そうあってはならないように心掛けたいと思う。
一生懸命に活動し、物事に真摯に取組み、熱心に仕事をする。時には現地へ走り、時には先進地の視察をし、時には専門家に師事する。その証は必ず「実」を挙げることであった。
そして真面目に活動報告をし、その内容を明らかにしてきた。尚、正直さからの結果は、常に所得が上位を示し、又後援会活動報告(政治資金共)もトップクラスを続ける事に対して、斜めからの目線を強く感じさせられてきた。決して“目立(めだ)とう”としたものではない・・・にも拘(かか)わらず、残念乍ら「妬(ねた)み」や「僻(ひが)み」の言葉しか出て来ない政治家たちに対して、真に悲しい思いをしている。
昨今、「政経分離」を唱えられている中、「政経両立」所謂(いわゆる)「政治と経済」活動を両方とも遣(や)り熟(こな)していること・・・。今回経済面での実績が認められ「藍綬褒章」を受章したこともその一つである。それを目立つと云う・・・。特に斜めから眺(なが)めて物を云う・・・その言葉の端端(はしばし)を捉(とら)え、恰(あたか)も、何かと悪さをしているかのように、うわさを立て、尤(もっと)もらしく、世間の評判として、伝わっている。これもまた、迚(とて)も寂しいことである。
私は他人がどうあれ、心新たにして、引続いて次頃について誓うものです。
1)他人の悪口を云わない
2)どなたとも、真撃に向き合い、耳を傾ける。
3)仕事は、一生懸命に汗して取組み、常に成果を出す。
4)他人事に対して、各々比較をせず、評価をすべき人には、素直に敬意を表する。
5)いつまでも、感謝の気持ちを大切にし、恩を忘れず、生涯掛けて恩に報いる。