2012/6/27 水曜日

6.総括(結び)

 1960年代に、コンピューター付きブルドーザーとあだ名されていた素晴らしく情熱的な国のリーダーは、「日本列島改造論を唱え、日本国の格差是正と動脈的な交通ネットワークの構築」を図る事を目的に、確実に促進し、70年代に、その一部が現れてきた。
 其の構想に、「意」は無いものの、其の折には、“世界やアジアに対して、グローバル的な見地からの位置付け”“日本の総合的な連携体制を交通ネットワークに結び付ける”ことなどが、軽薄で余り見当たらなかったことは、残念でなりません。
 全国各地の空港と港湾の中から主要地(キー点)を指定し、其のキー点に対しては、必ず新幹線の新駅並びに、高速道路のインター(出入口)を設置し、連携強化とエリアの拡張を図ることです。

 ところで、今日まで航空各社とJR各社の間、並びに国交省内の航空局と鉄道局の間では、縦割り行政、仕組みの象徴とされていた。其れは、長年にわたって顧客の獲得合戦、或は、料金(価格)争いなどを繰り返し、昨今の人口減に伴い、交流人口を増やす中で益々エスカレートして来た。
 今や、食品を初めとする物質や交通料金(旅費、運送費など)も、国際時代に相応しくグローバル化し、日本は世界やアジアの一員として、総ての商品や商品開発に対しては競り合っており、其れに打ち勝つ必要性を痛感している。
一刻も早くこの対立構造から脱し、協調性をもって相互の利に繋げて頂きたいと願います。

 そして、空港駅を設置することで“利用エリアの拡張”と空港の国際化の促進を図ることで、アジアからの日本の窓口となり、利用客の増大を図り、交流人口増大による安定的な経営を求めることです。JR線沿線の新幹線ルート認定は、単に、遣り易い立地で決められたように思えてなりません。
 現時点での認定されている路線(ルート)を変えることは、極めて難しいと認知しています。
 しかし、しっかりと将来を見て、新ルートと比較し、再検討をすることを強く訴えたいと思います。

1)新幹線小松空港駅の新たな設置
2)JR線寺井駅から小松空港を経由して、動橋駅への新たなルート
3)距離が短く、農地が主で、補償費と建設費が安価
4)環境アセスに対しても、小松空港、航空自衛隊など既設施設から鑑み、難しくない
5)空港駅周辺に、新たな「まちづくり」の基に、宿泊、物販等を中心とする核をつくり、従来のJR小松駅との連携が図られ、高度な情報と経済の後押しとして、振興策が発信されることになる

 以上のように、従来の既得な考えに対して終止符を打ち、今、この時に、小松空港内に新駅を設置することこそ、正に、唯一「石川の未来」を語る資格があるものと申し上げたい。

 それは、真に、時代の責任を背負う青年たちの意志、行動に期待したいと思います。

《新幹線小松空港駅設置及び新ルート整備計画図》
  shinkansenmap.JPG

5.石川の未来は、青年に託す

1)石川の未来は、青年に託す
 平成26年度末北陸新幹線開業により、小松空港での利用客減、経営悪化が懸念される。
又、北陸新幹線も金沢開通だけでは、中途半端で敦賀まで延伸しても利用客の増を見込むことは困難である。
日本で初めて“空港に新幹線駅を・・・!”を合言葉にして、ルーと変更と新空港駅の実現に向けて進み、現に遣り遂げられるのは、青年達以外にないと思う。

「石川の未来は、青年に託す」。“頑張れ、青年よ”確率0%からのスタートである。

4.財源不足から「当面の考え方」

1)財源不足から「当面の考え方」の導入
 平成24年度当初予算編成では、自主財源が50%を割り、国債が半分以上発行することになっています。従って、新幹線建設にあたり、工夫に工夫を重ねて財源を捻出して取り組んでおります。しかし、敦賀までの建設費でも、裏付けの見通しが立っていない中で、更に、大阪まで見通しを鑑みると先は真っ暗であると云える。

2)フリーゲージトレイン
 国土交通省は、フリーゲージトレイン(軌間可変電車)を富山から大阪への間に導入する方針を固めた。
石川県、富山県を含む北陸、関西の6府県と関西広域連合、並びにJR西日本は、5月28日までに容認した。2025年に、敦賀まで完成した場合には、直通で大阪まで可能としたい考えである。
 さて、昭和48年(1973年)に、国の整備計画が決定されて以来、一貫してフル規格による東京~大阪間の全線整備を大前提として、今日まで建設が進められている。
 又、フリーゲージトレインの導入は、敦賀以西のフル規格による整備までの間、暫定的な措置とするというものです。

3)在来線の在り方
 国は、JRに「出来る限りの協力と支援を行うよう」求め、十分な支援策を講じ、並行在来線の安定的な経営と利便性の確保をしなければならないと示している。
 只、難しい経営、ただの通過点、ストロー現象などに対し、対策を講じ真剣に対応する必要がある。
 並行在来線のスケジュールは、平成24年8月~9月頃に準備会社設立、平成25年夏頃、本格会社へ移行、平成25年冬頃、鉄道事業許可申請、平成27年3月頃、開業する予定である。

3.アジアの窓口

1)中距離国際空港とアジアの窓口
 小松空港と新幹線小松空港駅(仮称)とが併設されることで、確実にアジアからは日本の窓口となる。
世界から、特にアジアから日本を見ると、東京~名古屋~京都~大阪のラインが商観ともに、ドル箱ルートとされています。北陸新幹線が全線開通したことを推定し、“金沢(小松空港)~富山~上越~長野~東京~横浜~浜松~名古屋~岐阜羽島~京都(新大阪)~敦賀~福井~金沢(小松空港)”の環状線ルートの中心が金沢であり小松空港です。
冬季間の積雪の難点が少々指摘されるが、自然災害の少ない地域で併設することにより、時間的、経費的節約が予測されることでアジアの窓口となります。

2)新幹線エリアの拡大と安定営業
 新幹線空港駅を開設することで、新幹線と空港の利用客の増大が見込まれる。アジアとの交流上、又、エリアが広がり、富山、上越、長野、岐阜、滋賀、福井などからは、窓口として利用することになる。又、アジアなどからも、日本の窓口として空港と新幹線を一体化で活用し、行きか帰りどちらか必ず利用してくれるだろう。利用客の増大で安定営業が図られる。

3)環日本海時代の幕開けとアジアは一つ
 中国、韓国、台湾を軸に、ベトナム、フィリピン、シンガポール、マレーシア、インドネシア、インド、タイ、ミャンマーなど東アジアと日本との交流の窓口となり、観光、ビジネス、修学旅行など、更に発展的に交流人口を増やす。
将来、正にアジアは一つであることを目標に、EU並みに連携を図ることになると思います。

2.全国初の新幹線空港駅開設

1)経済人の苦言に賛同
 ある経済人から“新幹線を小松空港に何故、繋げないのか”“小松空港駅を設置することで、波及効果が大きいのでは・・・”と云う考えとご意見を頂いた。即、私も同調し、調査したことで「期待から確信」に変わった。
全国で、空港に新幹線駅が併設する所はなく全国初となる。
乗り継ぎ、乗り換えでは、独自性を強調出来ず、利便性を欠くことになる。

2)小松空港駅新設と一部ルート変更
 小松空港の位置とJR在来線から鑑み、平面地図で新たにルートを概ね線引きをすると、寺井駅の方から小松空港を経由して動橋駅への流れが極めてラインが能く、距離が短くなる。大部分が水田で“航空自衛隊と空港”が既存運営されていることから、環境アセスなどの理解が得られるものと思われ、更に、用地補償や建設費も安価になると予測されます。

3)小松の新たな拠点地
新幹線小松空港駅が設置されることにより、既設の空港駐車場を活用(併用)し、宿泊施設や物販店など新たな「まちづくり」、賑わいが呼び込まれる。
JR小松駅と空港駅とは、近い繋がりとして況(ま)し、連携が深められます。
空港駅が設置されない場合には、小松駅への停車回数は僅かになり、空港駅が設置されれば、金沢駅停車数の7〜8割が可能と見込まれます。(航空ダイヤとセット)
又、フリーゲージトレインが導入されることにより、新ルートが空港駅になっても数回は小松駅在来線に走らせる可能性があります。

4)空港の活性化の促進
 地域の拠点地として、空港の施設(エアーターミナルビル等)は、人が集まり行き来し易いように工夫しなければならない。百貨店かショッピングセンターなど、バスターミナルやタクシーベイなど、又、駐車場を備え、市街地中心部とのアクセスを能くし、更に自転車ロードによって繋ぐことです。

5)加賀地域への効果
 北信越、中部、近畿の一部まで新幹線を利用し、小松空港駅から中距離、近距離、アジア諸国などへの離着陸の窓口となれば、多数の交流人口が見込まれ、小松市は勿論、加賀市、能美市、川北町、白山市、野々市市、金沢市南部まで、その賑わいの影響を受け確実に振興策が図られます。

6)金沢から能登まで(波及効果)
 金沢市内、北部から能登地域に於いても、小松空港駅の利用客が増えることで、観光、ビジネス、修学旅行の新たな商品開発、エリアのターゲットとして波及効果を呼ぶことになる。新幹線と空港の併設、組み合わせが必要不可欠とされる。無論、能登空港も波及効果と連携により利用客増に繋がる。

7)小松航空自衛隊と空港整備
 航空自衛隊の能登移転がよく囁かれていますが、防衛上の空のネットワークや小松市の事情及び自衛隊員の生活や考え方など、極めて複雑であり、今は触れないものとする。
只、併設して運営することで、自衛隊側にも最大限の譲歩をして頂き、新たな滑走路やターミナルビルの拡張など、ぎりぎりの限度の整備を促進する。

1.路線認定

1)路線認定
 金沢~敦賀間を路線認定したが、しかし、主に従来の在来線に沿ったものであり、半世紀前から分かっていたルートです。そこには、何の模索も発展的な工夫も見ることが出来なかった。

2)停車駅への期待
 石川県内の停車駅として、金沢・小松・加賀温泉の3駅が挙がっている。
しかし、新幹線の定義を振り返らなければならない。特急の「サンダーバード」は、福井・金沢・富山と1県1駅しか停まらない。関西方面の新幹線停車駅は、京都・新大阪・新神戸・岡山の順であり、周辺の都市部人口を含めて、利用エリアが数百万人となっている。新幹線の車種、又、「ヒカリとコダマ」のように、名称の区別によって、一部の停車しか見込めないものと思われる。

3)時間は、買うもの
 新幹線に乗車する利用者は、「時間を買う」ことが目的である。
勿論、「快適さと安全性と正確さ」を求められているが、しかし、「時間を有効に遣うこと」で、短時間を第一としている。

4)空港への影響
 新幹線の金沢開通により、羽田への利用客が激減することは間違いない。
交通アクセスの充実も大切なことですが、新たな路線(航路)の新設をしなければならない。
しかし、利用客については、観光、ビジネス、修学旅行など、1年を通して安定的でなければ静岡のように短期間で閉航されてしまうので、これからが正念場と云える。

石川の未来(空港と新幹線)

 2014年度の北陸新幹線の金沢開通に向けて、着々と準備が進められている。
又、金沢~敦賀間の新規着工認可と、2025年度末の開通に向けて加速化している。しかし、北陸新幹線は、東京と大阪を結ぶ構想としているが、財源不足で敦賀~大阪間の見通しが立っていない状況である。「加賀地域連携推進会議」は、加賀地域6市町の各種団体が参画して設立したもので、従来の北陸新幹線建設促進小松市民会議などを加えて、組織が結束して、真の「石川の未来」の在るべき姿を見据えて、しっかりと方向付けをして頂きたいと思う。

1.路線認定
2.全国初の新幹線空港駅開設
3.アジアの窓口
4.財源不足から「当面の考え方」
5.石川の未来は、青年に託す
6.総括(結び)

2012/6/19 火曜日

4.長崎遊学

 平成24年6月6日の大臣表彰には、家内も同行し、前日、長崎へ入り、5日午後3時間、6日午前2時間の長崎市内巡りをした。

 私は、過去10回位訪れているものの、ゆっくりと家内と観て歩くのは初めてであり、今日まで見えてなかったことが沢山観て、分かったような気がした。到着時には、平和公園、長崎原爆資料館、グラバー園、国宝大浦天主堂などで、翌朝、長崎県資料館やシーボルト記念館を観て、満杯の長崎を味わった。

長崎遊学の標(しるべ)(PDF)

3.節目の年、記憶に残る受賞

 平成24年度土砂災害防止(全国の集い)の会場は、長崎市でした。

 昭和57年(1982)7月23日に記録的豪雨により発生した「長崎豪雨災害」の被災は、死者299名、家屋の流失・倒壊など甚大な被害でした。
 翌年、昭和58年(1983年)に、第1回の「土砂災害防止(全国の集い)」が長崎市で開催され、今年で、満30年経ち、第30回目の節目の大会となりました。

 又、私ども地元石川県の象徴「白山」に関しても、特に今年が目白押しに節目の年を迎えて居ります。一つ目は、白山砂防(直轄)が100周年で、「8月4日に式典」。二つ目は、白山国立公園50周年「11月初旬に式典」。三つ目は、「白山手取川ジオパーク」が昨年、日本ジオパークに認定され、今年より“世界ジオパーク”を目指して取り組んでいます。四つ目は、今年2月に白山砂防の甚之助を含めた砂防堰堤群等が、登録文化財に登録された。五つ目は、石川県砂防協会も設立50周年を迎えています。

 正に、「節目の年」であり、この年に表彰を受けることは「記憶に残る受賞」であります。

 去る、6月4日に、国土交通大臣が代わられ、新たに参議院の羽田雄一郎氏が、大臣に就任された。そこで、表彰状は前田武志大臣のままで、羽田雄一郎と読まれましたが、式典終了後には回収され、一ヵ月後に羽田大臣の表彰状が届くと云うことでした。
 大会には、歴代の砂防部長や砂防部関係者が出席され、懐かしく皆様にお会い出来ました。
 又、石川県の元土木部長で、現在、九州地方整備局河川部長に就かれている方が、当日は局長代理として出席され、久しぶりにお会いすることが出来ました。本当に、嬉しい限りでした。

 尚、大臣表彰には、砂防部のOBの方の助言と、砂防部関係者の深いご理解の賜物と感謝しながら、今後、更に精進したいと思います。

2.砂防に携わって、その足跡

 私が、砂防に携わったのは、48年前に建設省(現国交省)の新潟県湯沢砂防工事事務所に入所し、退職時の勤務地は、金沢工事事務所(現金沢河川国道事務所)の白峰砂防出張所と云う「砂防一筋」のものでした。

 以来、違った立場で、砂防事業に従事し、昭和50年に初当選をし、地方議員として砂防事業の重要性を公的機関を通じて活動した。
 その後、旧河内村長に就任し、直ちに、石川県砂防協会の役員となり、平成7年に石川県砂防協会の会長の要職に就いた。
 平成11年に、金沢選挙区より県議選に出馬し、初当選を果たした。当時は、地方分権の風が強まり、三位一体改革が促進されていた。
 特に、地方分権の柱の一角であった河川(砂防)事業は、“地方に任せろ”という知事会や市長会の動きによって進められ、日本の本山である本省の河川局や砂防部が地方に分散され、無くなってしまう方向へと追い込まれていた。

 一方、平成の大合併で、市町が構成する全国治水砂防協会の会員の減少(各都道府県とも)を懸念し、賛助会員制度を新たにつくることになった。
 更に、砂防事業への強力な支援団体を地方公共団体や業界に働きかけ、県議会に「石川県議会砂防事業促進研究会」、市町村議会に「石川県市町村議会砂防事業促進研究会」、業界の5団体に「石川県砂防事業促進関連業研究会」をそれぞれ発足した。それに、従来の市町村長で構成する「石川県砂防協会」に加わり、「砂防関連四団体」の誕生となった。

 そこで、翌年の「三位一体改革」であり、目立たない砂防事業の不利さと、防災事業としての重要性を認識していたことから、この行為に反発し、全会一致の意見書の提出や、抗議行動の統括として、全国で初めての「石川県治水砂防大会」を開催し、県議会議事堂の大集会場に国会議員、県市町村議員など380名が結集し、会場一杯溢れる中で反対を唱える決議をした。

 それは、“「国土保全」は国が遣るべきことである”と訴えたものでした。

 さて、存続のため、あらゆる手を尽くした結果、「従来通りに納まった」と云うことで安堵したものです。
 只、“自立ない砂防事業を何とか普及したい”・・・その危機感を察知し、砂防事業の重要性を広く市民に知らせることから・・・・。そのために「砂防フォーラム」を一般市民(女性会、青年会、老人会、経済団体等)の手で、開催したいと考え、直接、一般市民が実行委員会を結成し、「砂防四団体」は、其れをサポートして実施することにした。
 平成17年(2005年)に白山市会場で、平成18年(2006年)に七尾市会場で、平成19年(2007年)に「土砂災害防止(全国の集い)」と合同開催として金沢市で、平成20年(2008年)は能登震災の翌年であったため、被災地の声に耳を傾け、支援のためにも輪島市で、4年連続4回でそれぞれ800名から2,000名の参加者の中で開催した。

 平成21年(2009年)に、過去4回にわたって開催された実行委員を対象にして、“砂防事業の現地視察”特に、白山砂防の直轄事業や、白山麓の補助事業に対して希望者が多く、2台のバスで実施した。

 そして、平成22年(2010年)に、全国で初めての「砂防検定試験」を実施し、翌年にも引き続いて行った。対象となった中学二年生、高校生、一般市民には、4級と5級を、そして、3級を専門業者にと実施した。目的は、砂防事業を「一般市民に関心を持って貰う」「地域防災、安全に対してのリーダーをつくる」「専門的に、将来、国家試験に値する免許にしたい」。それには、先ず、「全国治水砂防協会」などを通じて、「全国展開をしたい」と考えたからです。

1.国交省の推薦は、一人

 「2012年度土砂災害防止功労者国土大臣表彰」が、去る、5月24日に発表され、個人表彰の一人に私が選ばれた。

 今年度は、全国で個人2名と5団体が受賞となり、大会地元の長崎県推薦の81歳の男性の方と私が個人で、岩手県、千葉県、新潟県、島根県、長崎県の団体は、何れも、それぞれの県が推薦したものでした。
 私一人が、国交省北陸地方整備局の推薦と云うことでした。

国土交通大臣表彰を受賞

1.国交省の推薦は、一人
2.砂防に携わって、その足跡
3.節目の年、記憶に残る受賞
4.長崎遊学

2012/6/14 木曜日

7)島田市「田代環境プラザ」災害廃棄物視察

 平成24年5月31日(木)

 島田市が、翌日6月1日(金)から6月定例議会が始まり、議会の組織替え等で慌しいことから、前もって協議し、市役所へは立ち寄らず、直接、田代環境プラザに行くことにした。

 環境課長と係長によって説明を受けた。施設は、機械の点検中であり、生憎、稼働していなかったものの、内容の充実した時間を持つことが出来た。初対面は、些か無愛想に見えた課長でしたが、今日までの経験と自信から、正に適切な説明をされ、石川県内の大学出身であることを聞かされ、更に近親感を覚えた。

 現在は、原発反対運動と同様に、ガレキの受入れ反対を扇動し、何か違った方向に走っている活動家たちに向けて、課長は、全て原点に戻るべきであると悟り、語られた。

(1)ガレキ(「瓦礫」価値のないもの)と名打つことは思わしくない。沢山の尊い生命、人々が亡くなり、人々の生活そのものが流されたものであることから、「災害廃棄物」と称している。
(2)東日本大震災を国を挙げて復興しよう・・・!人々の絆を大切に力を合わせよう・・・!と、今こそ、その原点に戻るべきである。
(3)「放射能」の薄い、人に影響のない「チェックした災害廃棄物」に限って、手を差し伸べ、出来るだけ余力のある自治体が、復興に協力すると云うものです。

6)中部電力「浜岡原子力発電所」視察

 平成24年5月31日(木)

 時の首相から、突然“廃棄する”と云われた「浜岡原発」。
それでも懸命に再稼動を目指して取り組んでいる現状を視察することになった。
当然、我が県では「志賀原発」を抱えていることから関心度が高かった。

 浜岡原発とは、1号機から5号機まであり、その内、1・2号機は平成21年1月30日で運転を終了し、現在、廃止措置中であり、今後30年位掛けて、放射能を薄めながら廃棄(廃炉)するもので、3号機・4号機・5号機については、再稼動したい旨の現状である。
 昭和62年(1987年)8月に運転開始をした3号機は、平成22年11月24日から定期検査中であり、平成5年(1993年)9月運転開始をした4号機は、平成23年5月13日から停止中であり、平成17年(2005年)1月に運転開始をした5号機は、平成23年5月14日から停止中である。この3機を順次再稼動をしたいと準備を進めている。

 勿論、最初のレクチャー以外は、全て撮影禁止のため、より「百聞は一見に如かず」を感じた現地視察となった。レクチャーには、中部電力の役員である所長の挨拶と専門の部長等に説明と案内をして頂き、予定の2時間半の現場視察でした。

 最も私たちの目に留まったのは、再稼動に向けての改修が、全て東日本大震災での福島第一原発を参考に、クリアすべきものとして取り組まれていたことでした。
 そこで、今や「想定外」と云う言葉は、使うことのできないものとされ、中でも、地震や津波によって襲われた場合、如何なることがあっても“電気と海水等による冷却装置”が万全でなければならなく、先ず、その事の証明が求められた。
 現在、建設中の防波(潮)壁の高さは18mで、1.6㎞にわたって原発敷地を囲むように施工中であった。途中、東海地震等によっては、高さ21mの津波が発生する可能性を専門的機関によって公表された。
 直ちに、浜岡に於いて、3mオーバーしても防ぐ方法をも考慮して「電気やポンプ装置」の施設を1.5mの擁壁で囲んだもの、屋根付きのもの、又、その上で発電所建物の20m以上の高さの屋上に、そして高台の海抜25mの位置に予備の施設を、更に発電機を載せた小型トラックが数十台配備されていた。

 数段構えの体制に、参加者が納得したようであった。

 又、地震や津波に対応し、福島第一原発を教訓とした再稼動に向けての改修費の総額は、1,400億円と云うことでした。
 これだけ高額の資金を注ぎ込んでも、原発は安価なのか、必要なのか、疑念を抱かされた。早速、電力会社は答えられ、「もし、事故が発生すれば、国が滅びる恐れ、尊い生命や生活圏が失われることから鑑みれば、必要適正な額だ」と云うことでした。

 今、原発再稼動に向けて、様々な発言を繰り返しているコメンテーターたちに申したい。
「先ず、“現地を見て、聞いて、感じること”であり、机の上だけの無責任な発言を控えるべきであると思う」

 只、私はたとえ再稼動が認められても、急がなければならないこと等を挙げたい。
(1)原子力発電所の耐久年度を明らかにする
(2)原子力発電所を廃止、廃棄(廃炉)した場合の後処理の方法、場所を示すこと
(3)新たなエネルギー対策
 a.水力発電所の発電性能の改善
 b.送電線のロスの減少対策
 c.地熱発電所立地への環境整備
 d.充電方式の装置の実用化
 e.小力発電所の設置推進

5)「新東名高速道路」及び「浜松SA」視察

 平成24年5月30日(水)

 国交省中部地方整備局のお世話で実現したもので、中日本高速道路㈱東京支社浜松保全サービスセンター副所長の案内で、浜松いなさサービスエリア(SA)と平成24年4月14日に開通した「新東名高速道路」を実際、バスに乗車し、走りながら説明を受けた。
 特に、浜松いなさSAは、広大な敷地にショッピングセンター(モール)を兼ね備えた新型のサービスエリアで、平日にも拘わらず、沢山の利用客で賑わっていた。
 又、高速道路の防音遮音壁や目隠しネットに静岡県の要請で間伐材が活用されていたことが真新しく感じられた。(準備して頂いた資料「リーフレット」は全体で29頁の分かり易いものでした。)

4)トヨタ自動車「本社表敬訪問」及び「企業誘致レクチャー」

 平成24年5月30日(水)

 石川県の商工労働部の企業立地関係者2名と、金沢市の経済局の戦略部長が本社で合流した。トヨタ自動車の誘致に関し、石川県と金沢市は意欲的であり、今回の目的が合致したものです。
トヨタ自動車側も、石川トヨタ自動車への配慮もあり最善の体制で対応をして頂いた。
元町工場からの案内は事務部から部長が、「表敬訪問」と「企業誘致レクチャー」には常務役員と総務部長などが加わり、精一杯の対応を受けた。

 世界情勢を鑑み、円高で1円上がると300億~400億の影響が出るとされ、国内での売上台数の減少も極めて深刻な問題とされていた。
その状況の中では、国内での工場増設は困難と思われ(余程の車の売上台数が伸びた場合以外)、又、“厚生施設とスポーツや教育施設などは、工場とは別に計画的に整備される可能性がある”と説明を受け、参加者全員、期待感を持った。

 尚、東日本大震災とタイの洪水、更に、近年70%以上の確率で東海地震などが起こる事が予測されていることを例に挙げ、石川県が自然災害の比較的少ないことを強調し、好条件地であることを訴えた。

 今後の対策として、先ず、防災を中心に、豊田市、豊田市議会、トヨタ自動車及び豊田市消防署(消防団)などと交流を深めることが慣用と思われます。

3)トヨタ自動車「元町工場」見学

 平成24年5月30日(水)

 “世界のトヨタを我が県に”“中部圏では、愛知県に次いでトヨタの自動車の一人当たりの保有率が高い石川県に、何故トヨタの工場がないのか・・・?”と云う声に後押しをされ、今回、企画された。
特に、熱意の現れとして、石川トヨタ自動車の架谷社長も同行され、共に誘致に尽力を注がれた。勿論、架谷社長には、企画から、トヨタ関係者との仲持ちをして頂いた。

 元町工場は、面積50万坪、雇用者数3,600名で、ロボットの稼働率が高く、特に溶接工場では90%以上がロボットによって賄われていた。自動車組立てが、流れ作業やオートメーションで効率よく行われていた。中でも、流れに沿って並んだ一台づつの、車種が違うことに注目した。作業員のマンネリ化や油断を避け、集中力を継続させるためであると説明を受けた。
 又、工場入口には、医療施設や教育センターも整備され、更に、消防車庫には、消防車や救急車数台を配置していた。火事など出動に対しては、工場の中だけではなく、市内での出火などにも応援に出動するということでした。

 尚、工場への見学には、産業スパイに対してのセーフティーが厳重に張り巡らされていた。
カメラやビデオの撮影や携帯の持ち込みが禁止されたため、自分の目と耳で受け止めるしかなかった。

2)「徳川美術館」観賞

 平成24年5月29日(火)

 名古屋城本丸の東約3㎞の地、現「名古屋市東区徳川町」にある徳川園は、徳川御三家筆頭である尾張藩第二代藩主「光友」が、元禄8年(1645年)に自らの隠居所として、大曽根屋敷(約13万坪「44ha」)を造営したものです。
昭和6年(1931年)名古屋市は、第19代藩主「義親」から寄付を受け、改修整備を行い、翌年「徳川園」として一般公開した。
第二次世界大戦の大空襲によって焼失したものを、戦後、再整備したものです。

 参加者全員は、今日まで、見学場所として存在することを知らず、今回、観るのが初めてでしたが、“素晴らしい・・・”と感じた。

1)「企画計画」実行にあたり

 本会の勉強会は、会員から現在話題の件や、何を観たいかを問い、それに応え、2ヶ月前に企画・計画をしたものです。
日時は、5月29日(火)~31日(木)とし、目的先との日程調整をして決定した。

 先ず、中部電力浜岡原発について中部電力と、災害廃棄物処理場について島田市と調整し、31日となり、前日の30日にトヨタ自動車と決まり、それ等に基づいて日程全体を作った。
 しかし、日程作成後、今日までの間に、各地方議会では、全員協議会や委員会、会派の事業が入り、楽しみにしていた仲間が、参加出来なくなった。
私も、この3日間に議会の特別委員会や総代をしている森林組合の総代会などが入りましたが、先に決めていたことを優先して、この視察に参加した。

石川地方議員政策研究グループ「勉強会」県外視察

 平成24年5月29日(火)~31日(木)、県内市町議員とともに県外視察を行った。

1)「企画計画」実行にあたり
2)「徳川美術館」観賞
3)トヨタ自動車「元町工場」見学
4)トヨタ自動車「本社表敬訪問」及び「企業誘致レクチャー」
5)「新東名高速道路」及び「浜松SA」視察
6)中部電力「浜岡原子力発電所」視察
7)島田市「田代環境プラザ」災害廃棄物処理場視察

 
 以上、3日間の視察は、有意義であり、多くの成果を得た参加者は、満足気であった。
 石川地方議員政策研究会(勉強会)には、金沢市、白山市、能美市、珠洲市、羽咋市、志賀町から参加し、急遽、公務等で欠席となった小松市、輪島市、野々市市、津幡町、宝達志水町などの同志にも、ともに報告書を渡したいと思う・・・。そして、次回を楽しみにして貰いたいと思う。

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