2012/3/9 金曜日

1.東日本大震災について

 平成23年3月11日。
いま思い出しても恐怖で足がすくむような、あの日の、テレビに映し出された映像は、とてもこの世のものとは思われないものでした。
午後2時46分、マグニチュード9・0の巨大地震が、東北から関東にかけて襲いかかり、金沢でも、横方向にゆっくりと長時間揺れ、乗り物酔いをするような嫌な感じが致しました。
テレビをつけると、東京のお台場でビル火災が発生し、黒々とした煙が上がっている様子が中継され、巨大地震の発生を受けて、テレビはすぐに報道特番の体制を取り、そして、広範囲にわたる地震とあって、錯綜(さくそう)する情報をどう整理し、発信するか、報道フロアはまさに戦場のような混乱ぶりになっていました。
テレビに目が釘付けになり、信じられない光景が次々に飛び込み、その主とするところは、巨大津波でした。
三陸沿岸では、過去の津波被害を教訓にして強固な防潮堤や防波堤などを築いていたことから、その警報を見ても、誰もが「まさか、それほどの大津波が来る」とは思わなかったようです。
しかし、津波はそれらを破壊し、あるいはそれを易々と乗り越えて、沿岸の街に牙をむいてしまい、最大で25メートルのモンスター津波が、30分にわたって押し寄せ、平穏な暮らしと尊い人命を無情にも飲み込んでしまったのでした。

 東京では鉄道各社が運行を停止し、自宅までの長い道のりを歩く帰宅難民の長蛇の列があり、更に、福島県にある東京電力の福島第一原子力発電所では、炉心を冷やす緊急炉心冷却システムが作動しなくなり、政府は夜になって緊急事態宣言を発令したのでした。
この日、日本人は、人間の力が自然の前ではいかに無力かということを悟ったと思われ、最先端の科学技術を駆使しても自然の脅威には勝てず、快適な生活もすべては砂上(さじょう)の楼閣(ろうかく)と変わらないことを身をもって知ったと思われました。

 また、東日本大震災による不幸は、「地震と津波」だけでなく、原子力発電所から放射性物質が大量に漏れ出し、その深刻な被害と影響が、今日まで続いている点にある訳です。放射能は、目に見えず、においもなく、耳にもきこえない・・・・・忍び寄る危険を察知できない不安、更に、警戒区域や計画的避難区域に指定され、今後の生活設計や仕事・勉強・補償問題の行方など苦悩は尽きないものであります。

 決して対岸の火事ではなく、我が県には、志賀原子力発電所があり、隣接する福井県では、集中的に立地されており「原発銀座」とも呼ばれております。
そこで、発生以来一年近く経ち、「全国的に相次いだ台風による風水害」などを含め、平成24年度の当初議会での提案理由の中で、知事は、「万全な防災対策が、県民の皆様の安全、安心の確保の基本である」と示されましたが、以下について、お伺い致します。
(1)先ず、東日本大震災について「思い」をお聞かせ頂きたいと思います
(2)次に、本県の防災対策について「今一度」「お伺い致します」
(3)引続いて、志賀原発の運転についてどう考えられているのか
以上3件を知事にお伺い致します。

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